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スカウスハウス・ツアー2007 「利物浦日記2007」(レポート)


「利物浦日記2007」 - SCOUSE HOUSE TOUR 2007 / REPORTS

【イントロダクション・その1】 NLW No.311「フロム・エディター」より抜粋)

リヴァプールから帰って来ました!
いやあ、ほんっとうに素晴らしい「ビートル・ウィーク」でした。
今年のスカウスハウス・ツアーは、空前絶後といっていいくらいに楽しく、充実したツアーになりました。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。無事平和にツアーを終えることができたのは、みなさまのあたたかい笑顔や厳しいツッコミに支えられてこそでした。ほんとうにず〜っと笑いっぱなしだったような気がします。スタッフ一同、心より感謝しております。

バンド「水割り」のライヴも大成功でした。他のバンドには絶対にマネのできない、ある種ファニーな存在感はまさに出色でした。もしかして今年のBeatle Week最大の収穫だったのでは、とさえ思ってしまいます。
もちろん、彼らのライヴ・パフォーマンスが素晴らしかったことは言うまでもありません。しかしそれ以上に、観ている人をハッピーし、思わず話し掛けに行かずにおれないような、独特の親しみやすさが彼らにはありました。

それにしても、なんと多くの人から声を掛けられたことか。
とにかく数えきれないくらいたくさんの人からリアクションを受けました。
ステージが終わった後はもちろん、僕らが街を歩いているだけで、いろんな人が寄って来るのです。
「すんごく良かったよ!」
「次はいつ? どこでやるの?」
「ウィスキー&ウォーター、あんたらほんとにサイコーだよ!」
「来年も絶対来てね!」
などなど…。

彼らは、Mizuwariという日本語名でのエントリーで、これは日本人以外には(当然ながら)不可解であり、教えてもらわなければ発音不能な言葉です。それでも、ちゃんとバンド名を覚えて話し掛けてくる人もいましたし、そうでない人でも、プログラムを買ってバンドのプロフィール読んで、「ウィスキー&ウォーター」として頭にインプットし、次のスケジュールをチェックしてライヴにやって来るのです。他にも素晴らしいバンドはたくさんいるのに、わざわざ「水割り」を選んで観に来てくれるのです。

まったくの初出場にも関わらず、フェスティヴァルの常連やリヴァプールの人々に、これほどの親しみを持って受け入れられるバンドも珍しいと思います。ブッキングを担当した者としても、これ以上ない喜びでした。ステージの横で彼らの演奏を見守りながら、ブライアン・エプスタインの気持ちが、ちょっとだけわかったような気持ちになりました。
「水割り」のみなさま、おつかれさまでした。そしてありがとうございました。

このNLWや「スカウス・ハウス」のサイトでも、これから少しずつ、フェスティヴァルの模様を伝えていくつもりです。どうぞお楽しみに!

NLW No.311「フロム・エディター」より抜粋)



【イントロダクション・その2】 NLW No.321「フロム・エディター」より抜粋)

久しぶりに「利物浦日記」の続きを書きました。
あの信じられないくらいにハードで、しかしそれ以上に楽しかったフェスティヴァルから、もう3ヶ月が経とうとしています。
時の流れはほんとに早いものですね。おかげでただでさえ頼りない僕の記憶はどんどん薄れて行くばかり、細かい部分はほとんど残っておりません…。当時残していた簡単なメモも、このあいだ間違えてゴミに出してしまいました…うぇ〜ん。

そういうわけで、この「利物浦日記」、今後はますます詳しいレポートとはほど遠いものになってしまうと思います。すみません。
でも、なんとかフェスティヴァルの楽しさ、素晴らしさを伝えることができればと願っています。

今週書いたのは、バンド<水割り>のキャヴァーン・クラブでのライブです。このライヴはほんっっとうに盛り上がりました。
キャヴァーンでのライヴは、通常、1つのバンドのステージが終わると、半分くらいのお客さんは居なくなってしまいます。会場を後にするうちの半分は外へ、もう半分はもう1つのステージに移動します(キャヴァーンにはフロントとバックの2ステージあります)。
ですから、ステージに上がって準備を終えて、さあ演奏を始めるぞという時には、バンドの目の前にはあまり多くのオーディエンスはいないことになります。時間帯が早いとなおさらです。この日の水割りのライヴもそうでした。

そのオーディエンスの少ない状況をいかにして克服し、どれほどの大盛況に持って行くか。バンドの真価が問われるのは、このことに尽きると言っていいでしょう。
そしてこの日の水割りは、そのハードルを楽々とクリアしました。

水割りの演奏には、ある種独特のテイストがあったと思います。
そもそもこのバンドは元からあったわけではなくて、このフェスティヴァルへの出場だけを目的に結成されたのです。いや、正確に言うなら、急逝したバンド仲間の追悼のために結成されたバンドなのです。
リヴァプールで演奏することが、世界中から集まって来るビートルズ・ファンの前で演奏することが、亡くなった友人への彼らなりの追悼だったのです。
だからと言って、彼らの演奏には、悲壮感とかジメジメしたものは一切ありませんでした。思わず噴き出してしまうシーンはちょこちょこありましたが…。

前にも書いたと思いますけど、過去いろんなバンドのブッキングを担当しましたが、今回の水割りほど親しみを持ってオーディエンスに受け入れられたバンドはありません。
演奏するバンドのキャラクター、あるいは「こころざし」というものは、言葉にしなくてもちゃんと伝わるものなんだなあと、あらためて実感しました。

NLW No.321「フロム・エディター」より抜粋



【利物浦日記2007 / 8月23日(木)&8月24日(金)・その1】NLW No.311に掲載)

【8月23日(木)】
「インターナショナル・ビートル・ウィーク2007」開幕!
…しかしフェスティヴァル初日のプログラムは、夜にキャヴァーンで行われる「トラヴェリング・ウィルベリーズ・トリビュート・コンサート」のみ。まだほんのイントロダクションといったところだ。
スカウス・ハウスのお客さんや、フェスティヴァル出場バンド「水割り」がリヴァプール入りするのも、明日以降だ。

というわけで僕は、昨日に続いて「スカウスハウス・ツアー」の準備。これが結構忙しい。
主催者への予約の確認、毎年お世話になっている人たちへのあいさつ回り、情報収集、備品の買いもの。そして今年からスタッフとして働いてもらうミナコさんと、今後のことについて細かい打ち合わせ。これだけのことをするのに、昨日の半日と、今日のまるまる1日を費やすことになってしまった。
さあ、明日からいよいよ本番だ!


【8月24日(金)】
今日も快晴。僕は水曜日にリヴァプール入りしたのだが、ミナコさんによると「カズさんが夏を連れてきた」んだそう。その前の日まではすんごく寒くて、「今年はとうとう夏が来なかったね」と言い合ってたということだ。まあ、僕が連れてきたというよりは、これが「ビートル・ウィーク」のパワーなんだと思う。このままフェスティヴァルの終りまで夏が続いてくれるといいなあ。

さて、「スカウスハウス・ツアー」は今日からスタート。
まず、僕自身の引っ越し。郊外のB&Bから中心部の学生寮に移る。毎年このパターンだ。郊外のB&Bは僕のお気に入りの宿なのだが、歩いて帰れる距離ではないので、機動力が勝負になるフェスティヴァル期間にはちょっと使えない。対して学生寮の方は、暮らし心地はそんなに良くはないけれど、フェスティヴァルのメイン会場であるアデルフィ・ホテルのすぐ隣という絶好のロケーションなのだ。しかも、アデルフィと反対側の隣はライム・ストリート駅。お客さんを迎えに行ったり、見送りしたりするのにも便利である。
さらに今回は、僕の部屋は、バンドの楽器置場兼チューニングルームとして、また、お客さんの荷物の一時預かり所としても重宝することになった。

引っ越しの後は、ビートルズゆかりのパブ「ジャカランダ」に行く。スタッフのドットに挨拶して、日曜日にブッキングしているハレルヤ洋子ライヴのPRポスターを貼ってもらうように頼む。ミナコさん手作りのポスターだ。もちろんドットは快諾してくれた。

「カズ、あたし、この子知ってるよ」
「え? ほんとう?」
「うん、何度も何度も来てたよ。歌わせてほしいって言って。いつも断られてたけど。でも今回はよかったね、ちゃんと歌えることになって」
「へえ、そうなんだ。そりゃ知らなかった」

ハレルヤさんからはそんなことは聞いていなかったので驚いた。もしかするとドットの記憶違いかもしれない。
とにかくこれで準備オッケー。たくさんお客さんが来てくれるといいな。

昼前に「スカウスハウス・ツアー」最初のお客さんがライム・ストリート駅に到着。ミナコさん&夫のイアンさんと一緒にお出迎え。宿泊先のアデルフィ・ホテルに案内し、フェスティヴァルやオプションについて説明。しかしこのお二人は何度も「ビートル・ウィーク」に参加されている常連さんだったので、とても話が早かった。

ミナコさん&イアンさんとマウント・プレザントの「キモス」でランチ&ミーティング。イアンさんと僕はヴェジ・バーガー、ミナコさんはヴェジ・ブレックファスト…だったかな? この日以来、この店が我々のミーティング・スポットとなる。

午後は、ミナコさんと一緒に、バンドの宿泊の準備。
今回多くのバンドの宿泊先となる学生寮「ケンブリッジ・コート」は、偶然にもミナコさん宅のすぐ近くだった。しかも「水割り」に充てられたユニットがある棟は、ほとんど隣といってもいいロケーション。「おぉ〜い!」と
呼ばれたら「なぁ〜に?」と返事ができそうな距離だ。なんという偶然!

ミナコさんと一緒に宿の内部を点検し、足りないものを買い出しに行く。
トイレットペーパー、シャンプー、ボディソープ、洗濯用の洗剤、紙のプレート、水、ビール…などなど、など。マグカップやフォーク、スプ―ン、鍋などはミナコさんの家から持って来てもらうことにした。
近くのショップの営業時間もチェックし、これで準備万端。
さあ、水割りさんを迎えに行こう。

NLW No.311に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月24日(金)・その2】NLW No.312に掲載)

午後4時14分、リヴァプール・ライム・ストリート駅から鉄道に乗る。
途中、マンチェスター・ピカディリー駅で乗っていた列車が動かなくなり、20分くらい待たされた挙句、別の列車に乗り換えさせられるというアクシデントがあった。

なんとかマンチェスター空港駅に到着したのが、午後5時45分。そのまま空港のターミナル3へ走る。
水割りさんたちの前にお客さんが1組到着することになっていて、そのフライトの到着時間が5時45分なのだ。

Kさん&Tさんのカップルが到着ゲートに出てきたのは、6時10分ごろ。
長旅おつかれさまでしたの挨拶もそこそこに、2人を連れて、今度は水割りさんが到着するターミナル1へ移動。鉄道駅をはさんでいちばん端のターミナルから、反対側の端のターミナルまでのロング・ジャーニー。しかも時間がない。水割りさんのフライトの到着時間は6時15分なのだ。
Kさん&Tさんには申し訳なかったけれど、この長距離を早足で移動。普通に歩くと20分くらいかかりそうな距離だが、10分そこそこで無事に到着した。しかし…。

しかし、水割りさんたちの乗ったフライトは大幅に遅れていた。どうやらあと2時間以上はかかるようだった。ありゃー。
Kさん&Tさんに事情を説明し、おふたりだけでリヴァプールに向かってもらうことにした。さっき通り過ぎた鉄道駅まで戻り、列車が出るまでの時間、しばらくおしゃべりをした。

このおふたり、なにからなにまで対照的だった。Tさんはいつ見ても笑顔で、とにかくいろんなものに興味津々。ストレートに好奇心を発散させるかたで、お茶目な女子高生がそのまま大人になったような可愛らしいキャラクターだ。
男性のKさんはどちらかというと仏頂面が得意(?)のようで、いつも何かをじっと考えている様子だ。Tさんがちょっと暴走気味になるとたしなめたりしている。でもTさんによると、ビートルズやロックに「アツい」のはまぎれもなくKさんで、今回の旅もKさんの言われるままに来ることになったということだ。
おふたりの掛け合いは、はたで見ていても気持ちがいいほどだった。
少し話しただけで、仲の良さはじゅうぶんに伝わってきた。

水割りさん御一行は、結局、2時間遅れで到着した。
さらに数十分待ってリヴァプール行きの列車に乗る。この1時間強の移動の間は、なかなか有意義な時間だった。みなさんとコミュニケーションを取り(実際に会うのはこれが初めてなのだ)、フェスティヴァルのことやライヴのことについて、詳しく案内することができた。なにより、バンドのみなさんひとりひとりのキャラクターを、大まかながら掴むことができてよかった。
予想はしていたけれど、なかなか個性的なかたばかりだった。これからが楽しみだ。

リヴァプール・ライム・ストリート駅に到着したのは、午後11時半。それからタクシーで宿に向かった。
ひととおり部屋の使い方を説明して、じゃあお疲れさまでした、お休みなさ〜い…と言いたいところだけど、それはできない相談だった。彼らにはこの後、午前1時半から最初のライヴが待っているのだ。
シャワーをして一息ついた0時半に迎えに来ることにして、僕は一旦宿に戻った。しかし荷物をおいてすぐに出発。アデルフィ・ホテルのイヴェント会場をチェックする。どの会場のライヴも、どうやらほぼ滞りなく進んでいるようだ。

シャワーを浴びてさっぱりした水割りさんたちは、いくぶん元気を取り戻しているようだった。ゆっくり歩いてアデルフィ・ホテルへ案内する。
会場はホテル内のバー「ウェイヴス」。水割りのギグは、予定通り午前1時半にスタート。そう悪い演奏ではないけれど、本調子ではないのは明らかだった。
そりゃまあ無理もない。ほとんどのメンバーは50歳を過ぎていて、およそ20時間の移動の末にリヴァプールに着いたばかりなのだ。バリバリの演奏を披露しろという方が間違っている。

お客さんの入りは4〜5割といったところだ。まあまだ金曜日だし、この時間だし、仕方がない。コンディションが良くないことや最初のギグであることを考えると、むしろその方が助かるというものだ。少々ミスしてもいいから、このギグをウォーミング・アップとして有意義に利用して、次につなげてもらいたい。

…なんてことを考えながら見守ってたのだが、途中、とんでもない状況になっていることに気がついた。
いつの間にか、主催者であるキャヴァーン・シティ・ツアーズの重役で、バンド・ブッキングの責任者でもあるビルさんが来ていたのだ。奥の方のテーブルで、スタッフと一緒に楽しそうに話をしている。
ビルさんに演奏を聴いてもらえるなんて、最高にラッキーだ。しかしそれがこのタイミングでやって来たのは、どちらかというとアンラッキーだったかもしれない。できればいいコンディションでの演奏を聴いてもらいたかった…。

水割りのファースト・ギグ終了。バンマスのドン田中さんやジョニー黒田さんは「ぜんぜんダメだった…」と言っていたが、しかし、オーディエンスの反応は決して悪くなかった。ギグの終了と同時に、何人もの人から、バンドの名前や次のギグの予定を尋ねられた。「フェスティヴァルのベスト・バンドだ!」などと嬉しいことを言ってくれる人もいたが、でもフェスティヴァルはまだ始まったばかりだ。まったく、気が早いにもほどがある…。

とにかく、これであと4本。
一足飛びにとはいかないだろうけど、これから徐々に調子を出して行ってほしい。グッドラック!

NLW No.312に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月25日(土)・その1】 NLW No.313に掲載)

土曜日。今日から3日間がフェスティヴァルの本番だ。「スカウスハウス・ツアー」も、ここから本格的に忙しくなる。
今日到着のお客さんは2グループ、7名。バンドのライヴもあるし、イヴェントも本格的になる。僕が案内するウォークツアーも今日からスタートするし、夜には晩ごはんのアレンジをすることになっている。
スケジュールは隙間のないほどにキッチキチ。よほどうまくやらないと、お客さんたちの期待を台無しにしてしまうことになる。ちょっとスリリングだけれど、我々の腕の見せ所でもある。

9時にミナコさん&イアンさんとアデルフィで打ち合わせ。僕とミナコさんではとても手が足りないので、イアンさんにも手伝ってもらうことになったのだ。<アート・イン・リヴァプール>の仕事が忙しいイアンさんだけど、「面白そうだからいいよー」と、スカウスハウス・チームへの加入を快く引き受けてくださった。イアンさん、ありがとう。でもこき使われることになるかもしれないよ、ごめんね!

9時半。イアンさん&ミナコさんは、ロンドンから到着するHさん御一行(4名)を迎えにライム・ストリート駅へ。
僕は、アデルフィに揃った水割りさんたちとKさん&Tさんを連れて、コンサヴェーション・センターへ。ジョンの家&ポールの家を体験する<メンディップス&20フォースリン・ロード・ツアー>のバスの発車ポイントだ。
このツアーにはHさん御一行も参加することになっているのだが、ロンドンからの列車の到着予定は9時48分で、ツアーは10時スタート。距離的には遠くないのだが、大きな荷物もあるので、間に合わない可能性の方が高い…。

そこで我々スカウスハウス・チームは、何度もミーティングを重ねて、スペシャルな作戦を考えた。
まず、列車から降りたHさんたちをイアン&ミナコでキャッチし、荷物はその場でイアンがキープ。ミナコは4人を先導してコンサヴェーション・センターへダッシュ。カズはコンサヴェーション・センターでバスのドライヴァーに事情を話し、一行の到着が遅れる場合は無理矢理にでも引き留める…。

この作戦がばっちり当たった。結局ミナコさんに連れられたHさんたちが集合場所へ到着したのは10時8分ごろ。普通なら完璧においてきぼりのケースだったが、ドライヴァーがなじみのコリンさんだったのが幸いした。「次のツアーもあるから1分でも遅れるとマズイことになるんだけどなぁ…」とボヤきながらも、我々が揃うまでコリンさんはちゃんと待ってくれた。
本来なら僕もバスに乗る予定だったが、Hさんたちの荷物のことがあるので、断念。あぁ、2年連続でチケットを無駄にしてしまった…。

バスの出発を見送った後、ミナコさんと一緒にライム・ストリート駅に戻る。イアンさんはじっと4つのトランクの面倒をみてくれていた。
トランクを僕の宿に運んで、いつもの<キモス>で一息つきながら、その後の計画を練った。綱渡りのスケジュールはまだまだ続く…。

12時。再び僕の宿でミナコさん&イアンさんと落ち合い、今度はバンドの楽器を運ぶ。メンディップスのツアーが終わるのは12時半ごろなのだが、水割りは1時からキャヴァーンでライヴがある。楽器を取りに戻っている時間はないのだ。
湖水地方からレンタカーでリヴァプール入りするIさんファミリー(3名)が到着するころなので、楽器を持ったままアデルフィへ。Iさんファミリーは無事に到着していたものの、なんと入国の際にロスト・バゲージに遭ってしまっていて、まだ荷物を受け取れていないとのこと。日用品の買い出しが必要ということで、急遽、ミナコさんに案内してもらうことにした。

僕とイアンさんの2人で、楽器を持ってコンサヴェーション・センターへ。
僕がギター2本を持ち、イアンさんにはベース1本とスネア・ドラムを持ってもらったのだが、これが結構重くて、かなり難儀した。
へろへろになってコンサヴェーション・センターに着いて、イアンさんにはそのままバスが戻って来るまで楽器と一緒に待っていてもらうことにした。僕は一足先にキャヴァーンへ向かう。バンドの会場入り時間はライヴの45分前。誰かが行っておかなければならない。イアンさんには、水割りさんや他のお客さんを連れてキャヴァーンに来てもらうようお願いした。

トリビュート・バンドによるキャヴァーン・クラブでのライヴは、今日が初日となる。プログラムを見ると、午後1時が最初のギグ。つまり水割りは、栄えあるトップバッターに指名されたわけだ。
しかもステージは大きい方の<キャヴァーン・バック>。ポール・マッカートニーが1999年12月にライヴを行ったのもここで、それ以来、<ポール・マッカートニー・ステージ>とも呼ばれている。

1時少し前に、水割りさんも他のお客さんも、イアンさん&ミナコさんに連れられて到着。ミナコさんは、Iさんの買い物案内を無事に済ませて合流してくれていた。Iさんファミリーは夕方からの<ぶらぶらウォーク〜ウールトン&ペニーレーン編>から参加することになり、集合場所へのアクセスも案内済みとのこと。オーケー、さすがミナコさん!

水割りのライヴは、定刻より15分くらい遅れて始まった。昨晩よりはさすがに調子良さそうだ。残念ながら、お客さんの入りはあんまり芳しくない。5割くらいの入りだろうか。初っ端のギグだから無理もないのだが…。それでも、ステージが進むにつれて増えて行き、終わりごろには7割くらいは埋まっていた。まずまず成功と言えるだろう。

途中、バーカウンターにビールを買いに行くと、そばのTVではプレミアリーグの<サンダーランド VS リヴァプール>がライヴ中継されていて、バーの兄ちゃんがライヴそっちのけで見入っていた。きっと熱心なレッズ・サポーターなんだろう。
兄ちゃんはTVから目を離さずに僕のオーダーを取り、ボールがリヴァプールのバックラインに渡ったところで冷蔵庫に向かった。しかしその10秒後、シャビ・アロンソのロングパスが前線に通り、2人経由して最後にモモ・シソコが豪快なミドル・シュートを決めた。

「うわぉ〜〜っっ!!」という僕の叫び声を聞いて、ビールを3本持った兄ちゃんが慌てて戻ってきた。
「なに? なに? どうした??」」
「ゴールじゃゴール!!」
「おぉーーー!! 誰?」
「シソコ!!」
「シソコ!? おぉーー! やったぁーーーっ!!」

これはただの1点ではない。レッズファンなら誰もが知っていることだが、中盤の底でいつも献身的な働きをしてくれるシソコの、リヴァプールでの記念すべき初ゴールなのだ!

急いでバックステージに戻り、イアンさんとミナコさんに報告。特にイアンさんは筋金入りのレッズファンだ。もちろん、これがシソコの初ゴールであることもよく知っていた。
3人で<ステラ・アルトワ>の瓶ビールを持って、シソコのゴールと、水割りのライヴに乾杯!!

NLW No.313に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月25日(土)・その2】 NLW No.314に掲載)

水割りのライヴ終了。
時間はもう2時をまわっている。ペニー・レーンではもう、今年の目玉イヴェントのひとつ<ペニー・レーン・フェスティヴァル>が始まっている頃だ。

ステージ衣装を着替える必要のある水割りさんたちをミナコさんに任せて、僕はお客さん6人と行動。まずは…そう、お昼ごはんだ!
<キモス>にみなさんを案内し、めいめい好きなものをオーダー。僕はワカサギ(たぶん)のフライ。なかなか美味しかった。

Kさん&Tさんとはペニー・レーンで会うことにして、Hさんたち4人のチェックインに同行。
まず僕の部屋に来てもらってキープしていた荷物を運び出し、タクシー2台に分乗してホテルへ。
Hさんたちのホテルは、今年ウォーターフロントにオープンしたばかりの<マルメゾン・リヴァプール>。行ってみてビックリの超モダンな高級ホテルだった。Kさん&Tさんのホテルもここだ。いいなあ、みんな!
マルメゾンの2階には、ビートルズ関連のディスプレイがたくさんあった。吹き抜け部分には巨大な<イエロー・サブマリン>が浮かんでいた。

Hさんたち4人と、タクシーでペニー・レーンへ。
野外ステージで水割りさんやKさん&Tさんと合流し、のんびり30分くらいライヴを観る。芝生に寝っころがっている人が多い。気がつくと水割りのマサ井上さんは熟睡モードだった。

5時前にマサさんを起こし、みんなでペニー・レーンのラウンドアバウトへ向かう。
ペニー・レーンのラウンドアバウトというのは、そう、ビートルズが<ペニー・レーン>で歌った風景がほとんどそのまま残っている場所だ。ここがこれから僕が案内するウォークツアー<ぶらぶらウォーク〜ウールトン&ペニー・レーン編>の集合場所なのだ。
Iさんファミリーもタイミングよく到着し、すぐにツアー開始。僕を入れて15人。ちょっとした団体ツアーだ。

ラウンドアバウト周辺の名所を案内した後、すぐ近くにあるジョン・レノンの最初の家<ニューカッスル・ロード9番地>を訪ねた。
角を曲がって、
「みなさ〜ん、ここの住人の方々のご迷惑にならないよう、静かにしましょうね〜」
と言って前を向くと、その9番地の家の前に、ジュリア・ベアードさんが立っていた。ジョン・レノンの妹さんである。なんという偶然…。
でもプライヴェートな時間かもしれないので、ツアーのみなさんにはとりあえず黙ってたほうがいいだろうなあ…と思っていたら、ジュリアさんがこっちに向かって歩いて来た。

「こんにちは、ジュリアさん。ここにあなたがいらっしゃるなんて」
「ええ、実はこの家に入れてもらおうと思って来たんだけど…留守なのよ。ほんとは留守じゃないんだけど、この家の主人はそういうのが好きじゃないのね。いつか入れてくださいってメモを残して来たところ。この家にはもう何十年も入ってないから…」
「…そうだったんですか。それは残念でしたね…」

この家は、ジュリアにとって最初の家でもある。
元々はジュリアさんのお祖父さん、ジョージが住んでいた家だ。
ジョンと妹のジュリアは7つ違いで、ジュリアが生まれた時、ジョンはミミおばさんの家で暮らしていた。
ジュリアがこの家に住んでいたのは2歳の時までだ。ジョージお祖父さんが亡くなり、一家は新しい家に引っ越さなければならなくなったのだ。
ジュリアは今年60歳。ということは、この家を離れて58年の月日が経っているということになる…。

「ところでカズ、このかたたちはあなたの…? そう、今年はずいぶん多いわねえ。よかったらみんなで写真撮りましょうか」
「わお! いいんですか? というか、あなたのことをみんなに言っていいもんかどうか、考えてたとこだったんですけど」
「そんなの、ぜ〜んぜん構わないわよ。さあ、あの家の前で写真を撮りましょう!」

…ということで、ここでやっと、みなさんに種明かし。え〜と、実はこのかた、ジョン・レノンの妹さんのジュリアさんです…。
14人全員が驚いていた。いや、何人かはきょとんとした顔をしていた。
そりゃまあ突然そんなことを言われても、にわかには信じられないかもしれない。
みんな、ジュリアさんがここにいることにまずビックリして、そしてジュリアさんの顔を見てさらにビックリ、という様子だ。だって、ジョンにそっくりだから。

ジョン・レノンの最初の家の前で、ジョンの妹ジュリアさんと一緒に記念撮影。みんな、緊張と興奮と喜びが入り混じったような表情でポーズを取っている。
シャッターを押す僕も同じだ。こんな素晴らしいシチュエーション、2度とないかもしれない。
撮影後もしばらくジュリアさんとお話した。ジョンの妹さんということを抜きにしても、この人はじゅうぶんに魅力的で、カッコいいのだ。

お礼を言ってジュリアさんと別れた後も、今起きたことがなんだか信じられないような気がした。
ペニー・レーンのラウンドアバウトに戻る道すがら、みんなで口々に感激を語り合った。僕も含めて、15人全員がまだ興奮している。

3年連続参加のYさんに、こんなことを言われた。
「今年はここで来ましたかぁ。毎年何か必ず<ミラクル>が起こりますねえ、<スカウスハウス・ツアー>は!」

いやほんとに、Yさんの言うとおりだ。今年もとびきりの<ミラクル>が舞い降りて来てくれた。やってる僕だって、いったいどうなってるんだろうと不思議な気持ちになる。

ジュリアさん、ほんとうにありがとう。近いうちにこの家の中に入れるといいですね!

NLW No.314に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月25日(土)・その3】 NLW No.315に掲載)

<ぶらぶらウォーク〜ウールトン&ペニー・レーン編>を再開。ペニー・レーンのラウンドアバウトからタクシーに乗って、ウールトンの<セント・ピーターズ・チャーチ>へ。
15人だから3台に分乗したのだが、なんと僕らが乗ったキャブの運ちゃんはチャーチの正確な場所を知らず、同僚に行き方を聞いてから発車した。
そしてほとんど近くまで、もうそこの角をくいっと曲がればすぐというところまで来ながら車を止めて、外を歩いているおばさんに道を尋ねていた。やれやれ、僕に訊いてくれたらいいのに!

40年前にジョンとポールが初めて会った場所である<セント・ピーターズ・チャーチ>は、「ロックの歴史上で最も重要なスポット」と言っていいかもしれない。
しかしここには<ロック>や<ビートルズ>を感じさせるものは何もない。イギリスのどこにでもあるような、落ち着いた佇まいの古い教会だ。この地域の人々が祈りを捧げる場所であり、死者が眠る場所でもある。いつ来ても、なんだかここだけ違う空気が流れているような不思議な静けさがあって、それが心地よい。

ジョン・レノンゆかりのスポットを案内しながら、静かなウールトンの街をぶらぶら歩く。空はきれいに晴れて、風も強くない。散歩日和だ。

ジョンゆかりのスポットといっても、そんなにゴロゴロとあるわけではないので、特に説明もなくただぶらぶら歩く時間がほとんどということになる。でもこれが結構楽しい。ウールトンの街をじっくり見てもらえるし、歩きながらお客さん同士で話が弾んだりもする。

これだけの大人数なら、ミニバスでもチャーターしてツアーをするのが普通なんだろうと思う。2時間以上も歩くのは誰だって疲れるし、ぜんぜん効率的ではない。お客さん思いのツアーとは言えないかもしれない。

それでもやっぱり、僕は来年も再来年も、このツアーを続けると思う。
自分の足で実際に歩いてみなければ見えないもの、感じられないものって絶対にあるのだ。
少年時代のジョンやポールを想像しながら歩くのは、格別な楽しさがある。ふと、すぐそのへんから彼らひょっこり顔を出しそうな、そんな錯覚を覚えることもある。参加者のみなさんにもきっと楽しんでもらえたはずだ。「贅沢なツアーですよね〜!」と言ってくださる方もいた。すごく嬉しい言葉だ。きっと、ジョンやポールを、今まで以上に身近に感じてもらえたんじゃないかと思う。

7時半。<ストロベリー・フィールド>を終着点にして、<ぶらぶらウォーク〜ウールトン&ペニー・レーン編>は無事に終了した。
予定通り2時間半で終わったのだが、急いでシティ・センターに帰らなければならない。8時からミナコさんにレストランを予約してもらっているのだ。
タクシーでアデルフィ・ホテルへ戻り、そこから歩いてヴィクトリア・ストリートのチャイニーズ・レストラン<シャングリラ>へ向かった。

リヴァプールにはヨーロッパ最古といわれるチャイナタウンがあり、そこにはたくさんチャイニーズ・レストランが並んでいるのだが、実を言うと僕はあんまり好きではない。どのお店もちょっと暗くて、スタッフの対応も無愛想だからだ。「そういうのがチャイニーズらしくていいんだよ」と言われれば、まあそうなんだけど。
一方、この<シャングリラ>をはじめとして、シティ・センター中心部にあるチャイニーズ・レストランはどこもきれいで、とってもフレンドリーなのだ。もちろん料理も美味しいし、値段だって特に高いというわけでもない。ロケーションもいいから、いいことづくしなんである。

というわけで、<シャングリラ>。
案内されたのは団体用ルームみたいなところで、総勢17人が、長ぁ〜いテーブルに向かい合って座ることになった。これはなかなか壮観だった。
丸テーブルじゃないので料理をシェアするのにちょっと困ることにはなったけど、料理は美味しかった。ほんとうに美味しかった。食べきれなかった分はちゃんと包んでくれたので、しっかり持って帰った(…で、水割りさんたちの朝ごはんになった…)。

9時半。お腹がいっぱいになったところで、遅ればせながら<エンパイア・シアター>へ。
今日はアメリカの大物トリビュート・バンド<レイン>のコンサートなのだ。
もうとっくに始まっている!
到着してみると、ちょうど前半が終了するところだった。伝統あるエンパイアは超満員。15分の休憩をはさんで、後半のショウが始まった。

<レイン>のステージは、ビートルズのストーリーをヴィジュアルと音楽で辿るレヴュー・ショウだった。
衣裳や髪型や楽器を変えながらテンポよく進む。歌や演奏はもちろん、仕草や話し方まで、ちょっとオーヴァーなくらいソックリに再現される。
1曲終わる毎に、割れんばかりの拍手と歓声。お客さんはみんなものすごく盛り上がっている。
<ブートレッグ・ビートルズ>が根強い人気を持っているように、アメリカやヨーロッパの人たちは、こういうショウが大好きなのだ。ショウらしいショウ、幻想らしい幻想。

しかし僕自身はといえば、残念ながらこういうベタベタなショウはあんまり好きではない。確かにものすごくよく出来ているとは思うんだけど、無条件で受け入れて、ストーリーの中に入って行くことができないのだ。
根が素直じゃないからかもしれない。あるいは自意識が過剰なのかもしれない。
でもとにかく、コンサートは大成功だった。<ビートル・ウィーク>は、また新しいプレミアム・バンドを獲得したようだ。

エンパイアの後、まっすぐ帰るのも味気ないので、水割りの4人と一緒にライム・ストリート駅横のパブ<クラウン>へ。
ここではなぜか、ジョニー黒田さんと、エーちゃん(矢沢永吉さんです、もちろん)の話で盛り上がった。音楽業界での活動が長いジョニーさんは、ほんとにいろんなウラ話を知っているのだ。ここにはちょっと書けないけれど、信じられないくらい面白かった。ますますエーちゃんのファンになってしまった。
しのポンさんは元気だったが、ドン田中さんとマサ井上さんは途中からお休みモード。かなりお疲れのようだ。初日からハードなスケジュールだったから無理もない…でも明日も忙しいです。すみません!

NLW No.315に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月26日(日)・その1】 NLW No.317に掲載)

今日は<コンヴェンション・デイ>。
フェスティヴァルのメイン・アトラクション<ビートルズ・コンヴェンション>が、アデルフィ・ホテルで開催されるのだ。
50組以上のバンドによるコンサート、フリー・マーケット、関係者を招いてのインタヴュー、ヴィデオ・ショウなど、いろいろな催しがある。特にライヴは、明日の朝3時くらいまで延々と続く。

マニアックなビートルズ・ファンにとっては、夢のような1日だろう。僕もそうだった。1日じゅう会場のあちこちをうろうろして、ライヴ演奏に興奮したり、マーケットのストールに並んだレアなレコードによだれを流したり、ビートルズの関係者をつかまえてサインをねだったりしていた。何時間いても、まったく退屈しなかった。

今は亡きビートルズ関係者に会うことができたのも、いい思い出になっている。ボブ・ウーラー、チャーリー・レノン、アリステア・テイラー、エリック・グリフィス、アルフ・ビックネル…みんなすごくいい人だった。
仕事として関わるようになってからは、忙しくてゆっくり会場を見て回る時間はほとんどなくなってしまった。それでも僕は、この<コンヴェンション>が大好きだ。
この日のこの場所に、コアなビートルズ・ファンが世界中から大集合するのだ。その雰囲気を味わうだけでも幸せな気分になる。

さて、スカウス隊のスケジュール、本日最初のアトラクションは<ぶらぶらウォーク〜ディングル編>。リンゴ・スターの生まれ育った街、ディングルを歩くツアーだ。
午前10時50分にアデルフィ・ホテルに集合。みなさん朝から元気そうだ。眠そうな顔をしているのは誰もいない。もちろん僕も絶好調。
ライム・ストリートからローカル・バスに乗る。ディングルまではわずか5〜6分くらい。あっという間に着いてしまう。バス料金は往復で1人£1.40だった。

ディングルのハイ・パーク・ストリートでバスを降りる。
昨年同様、素晴らしい天気に恵まれた。みなさんの足取りも軽そうだ。最初のスポットはリンゴの母校。次にリンゴのおじいさんの家を見て、リンゴの生家、エンプレス・パブとその向かいの雑貨屋さん、リンゴの2番目の家、そして最後にまたエンプレス・パブに戻ってビールで乾杯、というコースだ。

リンゴの生家のあるマドリン・ストリート周辺の住宅は、まとめて取り壊されることが決まっている。地元の人の話によると、たぶん今年中じゃないかということだ。取り壊された後は、新しい住宅が建てられることになっている。

最初は再開発に反対する住民も多かったのだが、取り壊しが決定してからおよそ2年が経った今、ほとんどの家は、すでに立ち退きに応じているようだ。
今もまだ住民が残っている家は、このマドリン・ストリートでは60軒のうち3軒しかない。そのうちの1軒は、家の前に花がいっぱい飾られていて、とても可愛らしい。ベンチの上には上品な猫が優雅に日向ぼっこをしているところだった。
このストリートのなかで、ここだけが別世界のように活き活きとしている。この家が好きなんです、離れたくないんです、という住人の精一杯のメッセージなのかもしれない。
なんだか僕も応援したくなった。がんばってほしい。

リンゴの生まれた家ももちろん、他の住居と一緒に取り壊される。取り壊す際にはレンガやら柱やら一式を保存し、将来どこかに移築できる可能性を残すという方針なんだそうだ…が、それが実現するかどうかは誰にもわからない。

リンゴ・スターは、生まれた家が無くなることについて、以前こう語っていた。
「(生家を)全部取り壊すんだそうだよ。新しくフラットだか高層マンションだか何だかが建つらしいね、よく知らないけど」
「どこか別の場所に移築するとかって話だけど。でもそういうのって意味ないんじゃないかって俺は思うけどね。だってさ、その移築した家にだよ、『リンゴ・スターはここで生まれました』なんてプレートを貼ってもねえ。なんだそりゃって感じだろ」
「実際の話、俺が育ったのは、アドミラル・グローヴの家の方だからね。あそこ(マドリン・ストリート)には4歳までしかいなかったからなあ。でもまあ、みんなに気に入られてた家ではあるよね」

リンゴの2番目の家、<アドミラル・グローヴ10番地>には、マーガレットさんという、とても可愛らしいおばあちゃんが住んでいる。
マーガレットさんは、リンゴがここに住んでいた時は2軒隣りの12番地で暮らしていた。もちろん、病弱だったリッチー少年のこともよく憶えている。

僕がマーガレットさんに最初に会ったのは、たしか8年前だ。それ以来ほぼ毎年、この家を訪ねている。そしてここに来るといつも、なかなか帰してもらえず長居をしてしまうことになる。なぜだかよくわからないけれど、マーガレットさんは僕のことを結構気に入ってくれているようなのだ。

3日前の木曜日に挨拶に来た時も、時間がないのですぐ帰るつもりで立ったまま話をしていたはずなのに、気がつくと1時間が過ぎていた。
マーガレットさんが一方的に話し、僕はほとんど聞き役だ。それなのに最後はいつも説教になるのも不思議だ。もちろんマーガレットさんが僕に説教するのだ。どうもマーガレットさんにとって僕は、何歳になっても頼りなくてちゃらんぽらんな放蕩息子のような存在のようだ。まあそのとおりと言われれば返す言葉もない。それにもちろん、僕自身もマーガレットさんの説教を聞くのは嫌いじゃない。

そのマーガレットさんの小さな家を、11人のお客さんと一緒に訪問した。マーガレットさんの部屋の可愛らしさと、マーガレットさん自身の可愛らしさに、みなさん感動していたようだった。
記念写真をたくさん写したのだが、僕のカメラでは1枚も撮ってなかったことに後で気がついた。残念…。

<エンプレス>で乾杯。
このパブはいつ来ても落ち着ける。ビールも美味しい。主人のリンダさんはいなかったけれど、常連のおっちゃん(名前は忘れてしまった…)がいて、僕が大勢のお客さんを連れて来たことにびっくりしていた。
12人で、ほっと一息。短いけれど、とても充実したツアーになった。来年もまた来よう。
マーガレットさん、どうもありがとう!

NLW No.317に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月26日(日)・その2】 NLW No.321に掲載)

ディングルからバスに乗って、<ビートルズ・コンヴェンション>真っ最中のアデルフィ・ホテルに戻った。
時計はちょうど1時。バンド<水割り>のみなさんとは20分後に待ち合わせにして、しばしの間(といっても20分ばかりだけど)自由行動。コンヴェンション会場を見て回った。

豪華で広いラウンジには今年もたくさんのストールが並び、多くのファンでにぎわっている。ホテル内にある4ヶ所のライヴ会場では、それぞれに熱いパフォーマンスが繰り広げられている。
そして奥のボールルームでは、昨日我々がペニー・レーンで会ったジュリア・ベアードさんがステージに上がり、スペンサー・リーさんのインタヴューに答えていることろだった。ゆっくり聴きたいところだが、残念ながら時間がない。

今日の水割りライヴは、2時からキャヴァーン・クラブ、そして5時からアデルフィ・ホテルにある<フライデイズ・バー>の2本だ。
まず僕の部屋でギターのチューニングをしてキャヴァーンへ。クラブの入り口にはDJのニールが立っていた。
「カズ!」
「やあニール、今年の僕のバンドだよ。ミズワリ」
「おおそうか、リヴァプールへヨウコソ〜!」

ほんとにいつも感心するくらいに調子のいい兄ちゃんだ。不機嫌なニールって見たことがない。もうずいぶん前になるけど、顔に大きなアザを作った彼に会ったことがある。やはりこのフェスティヴァル中でのことで、目のまわりが真っ黒になっていたのだ。どう見ても、誰かに思い切り殴られた直後という感じだった。それでも彼はまったく普通どおりで、「みんな、次のステージで会おうぜ〜!」と、いつもどおりの屈託のない笑顔を周りに振りまいていた。

さて、キャヴァーンでの水割りライヴ。
昨日のステージは大きい方の<バック>だったが、今日は<フロント>。あのお馴染みのレンガのアーチのある、ビートルズが出演していた時代の姿を再現したステージだ。
水割りは3番バッターとしての登場。ステージはほぼ定刻どおりに進んでいて、彼らは楽屋でゆっくりする暇もなくステージに呼ばれた。

しかしここでトラブル発生。ドン田中さんが唖然としている。なんと、ドラムのイスが壊れてしまっているのだ。とても座れない状態。まさか中腰の姿勢で演奏するわけにも行かないので(前のバンドのドラマーは一体どうやってドラムを叩いていたのだろう?)、係の人に「何とかして〜」と頼んだ。しかし天下のキャヴァーンにはスペアのイスは用意されておらず(まあそうだろうな)、彼が持って来たのは楽屋に置いてあった普通の背もたれのある木のイスだった。

ニールのイントロデュースで水割りのライヴがスタート。
オープニングは<デイ・トリッパー>。
あの印象的なギター・リフに続いて、ドン田中さんのドラムがどどどどんと炸裂した。ものすごい迫力。すぐ傍で見ていた僕は思わずのけぞってしまったくらいだ。
始まる前は、
「初めてだよぉ、背もたれのあるイスで演奏するのは」
と文句を言っていたドン田中さんだが、あのアクシデントで逆に気合いが入ったのかもしれない。前の2つのステージよりも明らかに音が大きい。文字通りのビッグ・ビートだった。

他のメンバーも調子が良さそうだ。
マサ井上さんは、たぶん最年長者なのだが、グループの中では道化役で、マスコット的存在だ。欽ちゃんのようなすっとぼけたキャラクターがどのステージでもウケていた。
持参したギターが1964年製のグレッチという超ヴィンテージものなので、チューニングが狂いやすく、そのせいでところどころでミストーンが発生してしまうのだが、それもひっくるめて、マサさんの重要な個性になっていた。
そういえばこのステージでは、<アイ・コール・ユア・ネーム>のイントロをど忘れしてしまったらしく、3回もやり直すというパフォーマンス(?)をやってのけた。間違えるたびにオーディエンスはハラハラドキドキ、今度こそ成功しろよと全員が祈るような気持ちでマサさんを見守った。
そして最後にようやく成功したとき、曲が始まったばかりという普通はあり得ないタイミングであるにも関わらず、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

ベースのしのポンさんは演奏も素晴らしいが、何よりもステージでの表情がいい。活き活きとして、すっごく楽しそうなのだ。頭を振り、ジャンプし、思いっきりシャウトする。生涯青春というか、死ぬまで18というか、とにかく若々しい。見ていて気持ちがいいのだ。

そしてジョニー黒田さん。
この人のスゴさに、僕はこの3回めのステージでやっと気がついた。とにかく、信じられないくらいにジョンなのだ。ジョン・レノンなのだ。顔の表情も歌声も発声の仕方も歌い方もステージでの仕草も、何から何までそっくりなのだ。クールでヤクザな雰囲気もジョン・レノンだし、それをひっくり返して大爆発するときの迫力もジョン・レノンそのものだ。

そしてこれがいちばん重要なことなのだが、ジョニーさんには、「マネをしている」とか「コピーをしている」と感じさせるものが、微塵もない。つまりジョニーさんには、「ジョン・レノンになろう」という意思がない。
ジョン・レノンになろうとしていないのに、まるでジョン・レノンそのものなのだから、まったく不思議な人である。
僕も結構たくさんのコピーバンドを見てきているけど、こんなジョン・レノン・パフォーマーを見たのは初めてだ。ステージの横からじっと見ていて、なんだかゾクゾクした。

この<キャヴァーン・フロント>での水割りのライヴは、掛け値なしの大成功だった。会場全体がハッピーなアトマスフィアに包まれる、素晴しい盛り上がりだった。
次のバンドの到着が遅れていたために、結局15分以上もオーヴァーして演奏することになったが、オーディエンスは大喜びだった。
しかし大きな拍手の中で水割りがステージから降りて、やれやれと思った途端、MCのニールがステージの上で何か良からぬことをしゃべっているのが聴こえて来た。

「レイディース&ジェンツ! 今からこの水割りを連れてきた男を紹介するぜ〜!」
うわ、またやられた! 去年もリッキー廣田&ザ・ミッシェルのステージの後にこれをやられて、ものすごい恥ずかしい思いをしたのだ…。

「カズ、こら、早くこい! こっちこっち!」
オーディエンスからも拍手。何度も断るが、とても許してもらえそうな雰囲気ではない。しぶしぶステージに上がって、ちょっと手を振ってすぐに帰ろうとしたけれど、ニールにしっかりつかまえられてしまった。

「みんな、こいつがカズだ。カズは毎年日本から素晴らしいバンドをこのフェスティヴァルに連れて来てくれるんだ。えーと、もう10年だっけ?」
「…8年」と僕。まるで借りてきた猫状態。
「そう、8年。たくさんのバンドがこいつのおかげでビートル・ウィークにやって来た。しかもカズの会社の名前が最高なんだ。いいか、聞いて驚くなよ〜、スカウスハウスだ。スカウスハウスって言うんだぜ! イエ〜イ! 拍手〜〜!!」

ひきつった顔でオーディエンスに手を振って、逃げるようにステージから降りて楽屋に入ると、ヴィデオカメラを持った青年が待っていた。
このフェスティヴァルを取材している台湾のジャーナリストで、水割りのライヴが素晴らしかったので、映像を公開させてもらいたいのだがいいだろうかということだった。もちろん全員一致で快諾した。

リヴァプールの人や欧米のビートルズ・ファンばかりでなく、台湾の人に気に入ってもらえたことは、我々としてはとてもうれしいことだった。
帰国後に届いたこのHansさんからメールには、インターネットに公開しているヴィデオのアドレスと一緒に、こんなメッセージが添えられていた。

「MIZUWARI are really good ROCKERS!!!!」

NLW No.321に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月26日(日)・その3】 NLW No.322に掲載)

<キャヴァーン・フロント>での水割りライヴが終了したのが午後3時すぎ。次の<アデルフィ・フライデイズ・バー>の会場入りまでには、1時間半しかない。
ランチでもと考えていたのだが、みなさんに意見を訊くと、「昼ごはんよりもゆっくり休憩したい」ということだった。
あれだけ全力をつぎ込んだライヴの後だから、そりゃあ無理もない。次のライヴも大盛況必至だから、ここはしっかり休んでいただかなくては。

チャーチ・ストリートを歩いているときに、ミナコさんから電話が入った。
今日到着するお客さん、YちゃんとNちゃんの出迎えをお願いしていたのだが、2人とも無事に学生寮にチェックインしたとのこと。これでスカウスツアーは全員集合だ。よかったよかった。

どこかのパブかカフェで水割りさんたちに休んでもらおうと思うが、今日のリヴァプールはものすごい人出で、どの店も人があふれんばかりだ。
ビートルズ・コンヴェンション・デイということもあるが、それ以上に今日は、夏休み最後の3連休の真っ只中なのだ。
しかし僕には1軒、当てがあった。ボールド・ストリートの書店<ウォーターストーンズ>の2階にあるカフェ<コスタ>。ここはいつ行っても空いているのだ。案の定、今日もゆったりと空いていて、外の喧噪とはまるで別世界だ。ソファのあるコーナーは我々の貸し切り状態。これなら落ち着いて休んでもらえるだろう。
水割りのみなさんにコーヒーと軽食を運んで、僕は店を出てアデルフィに向かった。主催者<キャヴァーン・シティ・ツアーズ>のイアンに用事があったのと、少しでもコンヴェンションを見ておきたいという思いもあった。

イアンとの用事はすぐに済んで、会場をぶらぶらしていると、Yちゃんにばったり遭遇。去年も今年も、なぜかこの日&この場所で会うという偶然。1年ぶりだけど、相変わらずお人形みたいに可愛らしい。遠慮のない毒舌で僕をいじめるのも相変わらずだけど…。

続いて出会ったのは、おお、なんと、ハレルヤ洋子! なんだ、もう来てたのか〜。実は今日の6時半から、伝説のパブ<ジャカランダ>でハレルヤさんのライヴを企画しているのだ。彼女とは火曜日にロンドンで会っているのだが、さすがハレルヤ洋子というか、「何時に来るのか連絡しろよー」と言って別れたきりさっぱり音沙汰がなくて、こっちは非常に困っていた。なぜ困っていたかというと、今回のハレルヤさんのステージでは、数曲をジョニー黒田さんと共演してもらうつもりなのだ。
ジョニーさんにもハレルヤさんにもそのことは伝えているのだが、しかし今からではもうその打ち合わせをする時間はない。これから水割りはライヴだし、そのライヴが終わる頃にちょうどハレルヤライヴが始まる。仕方ない、ジョニー&ヨーコの共演はぶっつけ本番か…。

4時半。水割りのみなさんがアデルフィに集合。100%復活というわけではないだろうが、すっかり元気になった様子。さあ、もう一丁やったろうぜ!
<フライデイズ・バー>は、すでにじゅうぶん盛り上がっていた。
全員女性のバンド<ザ・レディバグズ>が演奏している。リヴァプール出身の5人組だ。すごく上手い。迫力がある。
彼女たちがステージを降りたあとも、ほとんどのオーディエンスはそのまま残った。さすがコンヴェンション会場のビートルズ・ファンは気合いが違う。よぉ〜し、我々の出番だ。

ほぼ定刻に水割りライヴがスタート。オープニングは<ヘルプ!>だった。そして<フロム・ミー・トゥ・ユー><オール・マイ・ラヴィング>とテンションの高いパフォーマンスが続く。最初からエンジン全開。キャヴァーンでの疲れなどまったく感じさせない。
これだけのオーディエンスを目の前にしてマイペースでやっている場合ではないのは分かるが、横で見守る僕としては、最後まで持つのかなと少し心配になってしまう。明日もライヴがあるのに…。
いや、たぶん彼らは、明日のことなんて考えていないのだろう。全てを賭けて、このステージに臨んでいるのだ。

いくつか飛んでいるかもしれないが、セットリストを紹介しておこう。だいたいこんな感じだ。
<ヘルプ!><フロム・ミー・トゥ・ユー><オール・マイ・ラヴィング><ベイビー・イッツ・ユー><アンド・アイ・ラヴ・ハー><イフ・アイ・フェル><ノーウェア・マン><ボーイズ><ロックンロール・ミュージック><アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア><ロール・オーヴァー・ベートーヴェン><エニータイム・アット・オール><キャント・バイ・ミー・ラヴ><シー・ラヴズ・ユー>そしてアンコールに<ツイスト・アンド・シャウト>。

この<フライデイズ・バー>でのライヴは、独特の雰囲気があった。何というか、ものすごくオープンな感じなのだ。さすが一流ホテルのバーだけあって、リラックスできる内装やインテリアになっている。しかも窓から光が入るので、全体が明るい。そしてここにいるオーディエンスの大半は、毎年やって来るコンヴェンションの常連ときている。まるで仲間うちのパーティーのような、親密な空気があった。
そしてその親密な空気は、演奏が進むにつれて、熱狂の色に染められって行った。オーディエンス全員が、歌ったり踊ったり叫んだり、足を踏み鳴らしたり、力いっぱい手拍子を送ったりした。会場全体が、信じられないほどの一体感に包まれた。

会場の一体感にも感動したが、それ以上に、水割りのパフォーマンスがさらにグレードアップしていることに驚いた。
さっきのキャヴァーンが間違いなく彼らのベストで、あれがピークだと思っていたのだが、わずか2時間後にあっさり更新してしまったのだ。

疲労はあったに違いないが、逆にそれが彼らの「開き直り」を生んだのかもしれない。そして彼らの演奏に触発されたオーディエンスからの熱狂的なサポートが、彼らをぐいぐいと押し上げ、ポテンシャルを超えたパフォーマンスを引き出している。そんな感じだった。
グルーヴがグルーヴを呼び、大きなうねりになっていく。まさに理想的なライヴの形だ。
これが<ビートル・ウィーク>のマジックなのだろう。想像だが、彼ら自身、未知の領域に足を踏み入れたことを感じながら演奏していたのではないだろうか…。

終演後、ホテルの外でしばしクールダウン。マサ井上さんに言われた。
「ステージの横でカズさんが楽しそうに歌ってるのを見たらこっちも楽しくなったよ」
「だってほんとに楽しかったですもん。僕だけじゃなくてみんな歌ってましたよね。すごかったですよねー」と僕。
「ほんとにねー。あ、後ろに回って写真撮ってたよね、カズさん。なんかオーラみたいなのが出てたよ」
「オーラ? 僕がそんなもの出すわけないじゃないですか。単に逆光だっただけでしょ」
「あ、そうか。後ろ、窓だったもんね」
「そうですよ、まったくもう。後ろなんて気にしてないでちゃんと演奏してくださいよ…って、もう終わっちゃいましたね。ははは」
「そりゃそうだ。はははー」

一世一代のパフォーマンスをやってのけたばかりだというのに、水割りのみなさんはあっけらかんとしていた。まったくフツウなのだ。それがこのバンドのいいところでもある。
ただ、4人とも今度こそ本当に疲労困憊の様子だ。エネルギーは最後の一滴まで、出し惜しみすることなく使い切ってしまった。もう1曲だって演奏することはできないだろう。ベンチに座っているだけでしんどそうだ。なにもここまでやらなくていいのに…。

でももちろん、ここまでやってもらえて本当に嬉しい。ここまでやってこその<ビートル・ウィーク>だ。
明日は最後のライヴがあるが、おそらく期待できないだろう。気力も体力もノドも、完全に限界を超えているはずだ。もしかしたら、ボロボロのステージになってしまうかもしれない…。
でも、それはそれで構わないじゃないかという気がする。全力を出すべきところで全力を出したのだ。完全燃焼したのだ。あんなにたくさんのオーディエンスをハッピーにしたのだ。それで本望じゃないか…。

まあ明日のことは明日考えよう。
とにかく今日の2本のライヴは、本当に最高だった、最高という表現が陳腐に思えるほど素晴らしかった。
リヴァプールのオーディエンスと水割りのみなさんに、心から感謝したい。

NLW No.322に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月26日(日)・その4】 NLW No.323に掲載)

アデルフィでのライヴで完全燃焼した水割りさんたちをタクシーに乗せて見送った後、僕はジャカランダへの道を急いだ。ハレルヤ洋子のライヴが、もう始まる時間なのだ。

ジャカランダは相変わらずたくさんの地元の人でにぎわっていた。すぐにライヴスペースのある地下に行きたかったが、カウンターに座っていた常連のべーニーおじさんに見つかってしまった。この人を素通りすると後がコワイので、挨拶に行った。1年ぶりの再会だけど、まったくそんな感じがしない。スカウサーらしく、つい昨日あったばかりのような気楽さだ。

「よおカズ、元気か? 何か飲むか?」
「べーニーさんも元気そうだね。乾杯と行きたいところだけど、ごめん、今から下でハレルヤ洋子のライヴなんだよ」
「おお、ドットに聞いたよ。今日のライヴ、お前んとこのブッキングだってな」
「そうだよ、プレゼンテッド・バイ・スカウスハウスさあ。盛り上がるといいんだけど」
「彼女、上手いのか?」
「上手いよ。いい声してる。後でおいでよ。酔っ払っちゃう前に…って、もう遅いか、べーニーさん」
「うぃ〜〜」

地下に降りると、ライヴはまだ始まっておらず、ハレルヤさんがステージで準備をしているところだった。よかった、間に合った。カウンターでビールを3本買って、ミナコさんとイアンさんに持って行く。いろいろお疲れさま、カンパーイ!

早い時間のライヴでどうかと思っていたが、お客さんは結構たくさん入っている…が、なぜか日本人が多い。スカウスハウスのお客さんではない、僕の知らない日本人の人がいっぱい来ているのだ。なんでなんだろう?

ステージのハレルヤさんに、「もしかしたらジョニーさんは来られないかもしれないから、そのつもりでやってね」と言うと、意外な答えが返って来た。
「あれ? さっきバンドの人とうち合わせしたんですよ。てっきりカズさんのバンドの人だと思ってたんですけど…」
「ん?? そんなわけないよ。ジョニーさん今宿に帰ってシャワーしてるし」
「あれえ? えーと、ジョンの人じゃなくてジョージの人がギターを弾いてくれるって話になってて…あ、そうだ、このバンドの人です」

ハレルヤさんのポケットから出てきた紙切れには、日本の某バンドの名前が書いてあった。…なるほどそうか、そういうことだったんだ。知らない日本人は、某バンドのメンバーとファンの人たちだったのだ。きっとジャカランダのステージに上がるつもりでここに来てるのだろう…。

悪いけれど、認めるわけには行かない。これはスカウス・ハウスが企画して主催するイヴェントで、彼らのためのイヴェントではないし、飛び入り歓迎のカラオケ大会でもないのだ。

バンドの人を断ったと思ったら、今度はバンドのファンらしき男性がステージに上がって、ハレルヤさんに何か話し始めた。どうやら出演交渉をしているらしい。ハレルヤさんも困った顔…。
仕方がないのでまた僕がステージに上がって、お引き取りいただいた。

バンドの人も、その次の男性も、どちらも快く従ってくれたので、大きなトラブルにはならなかった。一件落着。ああよかったやれやれと思ってビールを飲んでいたら、後ろからトゲのある女性の声が聞こえて来た。ほとんど罵声だ。
「あいつがダメって言ったの? なんでダメなの? あいつ何者? 何様なの?」

わざと僕に聞こえるように大きな声を出しているんだろう。やれやれ、何様ですかと訊きたいのはこっちなんだけど…。
…僕がこのライヴの主催者です。何を勘違いしているのか知りませんけど、人のステージに押し掛けてきていきなり上がらせろと言うのは、あつかましいことだと思いませんか?…
振り向いてそう言おうかどうしようか、少し迷った。でも結局やめておいた。その時の僕はかなり頭に血がのぼっていて、冷静に対応して丸く収める自信がなかったからだ。このジャカランダでいざこざを起こすのは絶対に避けたかった。それに、これからライヴを始めるハレルヤさんにも迷惑がかかってしまう(でももう遅いかもしれない。ハレルヤさんにはホントに申し訳ない…)。

少なからず動揺や緊張はあったと思うが、ハレルヤさんはさすがで、弾き語りライヴは予想以上に盛り上がった。
僕は頭に血がのぼったままだったので、残念ながらあまり集中できなかったが…。
某バンドの人とファンの人たちは、ハレルヤさんのライヴが始まって3曲くらいすると帰ってしまった。
やはりハレルヤさんのライヴを観に来たわけではなくて、ジャカランダのステージで演奏することが目的だったのだろう。あっさりしたものだ。

<ビートルズ誕生の地>と言われる伝説のジャカランダのステージは、ビートルズ・バンドのミュージシャンにとっては、キャヴァーンと並ぶくらいの<夢のステージ>と言えるかもしれない。しかも、キャヴァーンはレプリカだが、ジャカランダは本物だ。ジョンやポールやジョージやスチュが歌い、演奏した場所そのものなのだ。
ここで演奏した日本人ミュージシャンはほんの一握りなので、「ジャカランダで演奏した」といえば、ステイタスにもなるだろう。
でも、人のステージに飛び入りで参加しても、「ジャカランダで演奏した」ということにはならないと思う。
どうせなら、正式にギグをブッキングして堂々とステージに立ってほしい。まあ彼らはほんの軽い気持ちでやって来たんだろうけど…。

さて、ジョニー黒田さんだ。
無理して来なくてもいいですよと言っておいたのだが、義理固いジョニーさんは、ちゃんとジャカランダにやって来てくれた。ハレルヤさんのステージはほとんど終わりで、ちょうどラスト・ソングというギリギリのタイミングだった。
もしハレルヤさんが望むなら、喜んでギターを弾くし、一緒に歌うこともだいじょうぶだとジョニーさんが言ってくれたので、ハレルヤさんに意向を確認してみたのだが、彼女の方は心の準備ができていなかったようだ。
結局、ジョニー&ヨーコの共演は実現しなかったが、まあ、今日の展開を考えるとそれはそれでよかったという気がする。
ハレルヤさん、とにかくお疲れさまでした!

ロンドンにとんぼ返りのハレルヤさんの見送りをミナコさんとイアンさんにお願いして、我々はそのまま<ぶらぶらウォーク〜パブ・クロール編>に出発した。
僕を入れて9名。まず、シール・ストリートの名物パブ&レストラン<アルマ・デ・キューバ>を訪ねた。昔の教会を改装した店で、荘厳な雰囲気が素晴らしい。

次は同じくシール・ストリートにあるアイリッシュ・パブ<ポーグ・マホーン>、そして同じくシール・ストリートの<ブルー・エンジェル>を案内して(ここは開店前なので外からの説明)、そして最後に入ったホープ・ストリートの<フィルハーモニック>では、嬉しい偶然が我々を待っていてくれた。

ここはジョン・レノンが最も愛したパブだと言われている。カウンターにはリアル・エールのポンプがずらりと並び、注文の際にいつもどのビールにしようか迷ってしまう。そして今日は、そのポンプの中のひとつに紙が貼ってあり、手書きの文字でビールの銘柄が書かれていた。たまたま入荷したリアルエールなのだろう。
そして、そこになんと、<BRAKSPEAR>と書かれていたのだ。

<BRAKSPEAR>とは、ジョージ・ハリスンのお家のあるヘンリー・オン・テムズのローカルブリュワリーで、ジョージの行きつけのパブのメインビールなのだ。
ヘンリー・オン・テムズはオックスフォードシャーにある。ずいぶんと距離があるリヴァプールで、まさかこのビールが飲めるとは思いもよらないことだったので、ほんとうにびっくりしてしまった。
もしかしてこれも<ミラクル>といっていいかもしれない。当然、全員がそれをオーダーし、ゆったりしたソファでくつろぎながら乾杯した。しみじみと美味しかった。

その後はミナコさんおすすめのギリシャ料理店<ユーリカ>で晩ごはん。
ミナコさんに予約してもらっていたのだが、またもや昨日と同じく、一列のテーブルが用意されていた。スカウス隊17名がずら〜っと並んでわいわいと楽しく食事。今日到着のYちゃんとNちゃんも参加してくれたし、ゆっくり休憩した水割りの3人もすっかり元気になっていた。よかったよかった。
この<ユーリカ>、味も素晴しかったが、ボリュームにびっくりだった。人数分よりも少なくオーダーしていたのに、それでも次から次へと料理が運ばれて来て、食べきれないほどだった。ワインも美味しくて何杯もお代わり。ついつい飲みすぎてしまった。

帰り道に、1人でアデルフィ・ホテルに寄る。
もう日が変わろうとしている時間帯だが、まだまだライヴは続いていた。
メイン・ステージの<マージービートルズ>を観終わって出口に行くと、そこにニールとイアンがいた。どちらもキャヴァーン・シティ・ツアーズのスタッフとして、入場者のチェックに立っているのだ。こんな夜遅くまでご苦労さんだけど、ちょっとからかってみたくなった。

「よおカズ!」とニール。
「やあニール、イアン。おや、君らまだ仕事してんの? 今何時? かっわいそうにね〜」
「やかましいやい。あのなイアン、今日のキャヴァーンでさ、またカズをステージに引っ張り上げてやったんだよ。こいつ、カチコチになってやがんの」
「へえ〜、ほんと」とイアン。
「るせえや、二ール! でもほんまたのむよぉ〜、頼むからもうあれやめてくれる?」
「さあねー、どうしよっかねー、イヒヒ」

からかうつもりが、逆にからかわれてしまった。
とにかく今日は、ほんっとうに長い1日だった。たしか朝にはディングルのツアーをやったんだった。もうはるか昔の出来事に思える。
いろんなことがありすぎたからなあ。いいことばかりではなかったけれど、いちいち気にしている場合じゃあない。明日以降もまだまだやることはたくさんあるのだ。さ、早く寝よう!

NLW No.323に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月27日(月)・その1】 NLW No.326に掲載)

気がつけばもう月曜日。マシュー・ストリート・フェスティヴァルの日がやって来た。
例年ならこの日は数十万人を動員するそれはそれは盛大なお祭りの日で、リヴァプールの中心部が文字通り人の海で埋め尽くされる。
しかし今年は残念ながらその光景は拝めそうにない。野外ステージの設置が見送られ、ライヴ会場は屋内限定となってしまったからだ。

野外ライヴの中止は、安全面を考慮した上での決定だった。
今年はピア・ヘッドの広大なパブリック・スペースが開発工事で使えない。その数万人を吸収するスペースの代替地を見つけることができなかった<カルチャー・カンパニー>は、限られたスペースに数十万人が押し寄せれば、人身事故が起きるのは避けられないと判断し、当初、フェスティヴァル自体の中止を発表した。開催のわずか25日前という、常識では考えられないタイミングでの突然の中止発表だった。

しかも、民間のオーガナイザー達はおろか、シティ・カウンシルのリーダー、ウォーレン・ブラッドリー氏さえもがまったく寝耳に水の話だったことが発覚。<カルチャー・カンパニー>はあらゆる方面から強烈な反発を招くことになってしまった。
ブラッドリー氏は強権を発動して中止を一旦白紙に戻した上で関係者を対象に緊急ミーティングを召集、その結果、野外ステージはやはり見送りになったものの、フェスティヴァル自体の中止は撤回され、今年も無事開催される運びとなった。それが8月9日。今から18日前のことだ。やれやれ。

…ま、野外ステージがなくなっても、それなりに楽しい1日になるはずだ。なんたってここはリヴァプールで、これは地元の人たちが毎年心から楽しみにしているフェスティヴァルなんだから。

今日もずいぶんと早くに目が覚めた。まだ6時にもなっていない。
外は薄暗く、ライム・ストリート駅の黄色い照明がぼんやりと丸い輪を作っている。
もう少し寝ようと横になるものの、ぜんぜん眠くない。それどころか、今日はあれをしてこれをして…と、次々に浮かんでくるシミュレーションに忙しい。
どう考えても睡眠不足のはずだし、体力的にも疲れている。それでも僕の脳は、もう活動を開始しているのだ。仕事の緊張感みたいなものもあるんだろうけど、それ以上に、毎日が楽しいんだと思う。
昨日、お客さんのTさんが、ウキウキワクワクして毎日朝が来るのが待ちきれないと言っていたけど、僕もきっとそうなんだろうなあ。
外が明るくなるのをうずうずして待つなんて、まるで小学校の遠足とか運動会みたいだ。

とりあえず7時まではベッドの中でじっと我慢して、シャワーを浴びてから外に出た。
ライム・ストリート駅で新聞と朝ごはんを買って部屋に戻り、その後で宿のランドリーに洗濯物を放り込んで、水割りさんたちの宿泊所<ケンブリッジ・コート>に向かった。
ケンブリッジ・コートにもランドリーがあるので、その使い方をレクチャーしようと思っていたのだが、あたたかい紅茶をいただいてみなさんとおしゃべりをしているうちに、もう出発する時間になってしまった。

スカウス隊の今日最初のイヴェントは、<ぶらぶらウォーク〜シティ・センター編>だ。
9時10分前にアデルフィに集合。僕を入れて18名の大所帯だ。
3年連続の方もいらっしゃるので、今回はちょっと趣向を変えて、ビートルズ関連以外の名所も少し案内することにした。
リヴァプール名所の説明は、特別にミナコさんにお願いした。現地人ならではのエピソードを交えた説明はさすがだったし、大人数をまとめながらツアーをするのにも、ミナコさんの存在はとてもありがたかった。

そういえば、僕のウォークツアーにミナコさんが参加するのは、これが初めてのことだ。
ユニークなキャラクターのお客さんばかりだったから、結構楽しんでもらえたんじゃないかと思う。あるいは、僕のガイドぶりを見て、
「えぇ〜? こんなイイカゲンでいいの!?」
とびっくりしたかもしれない…。

今回のツアーは、おおまかに書くとこんなコースを歩いた。
セント・ジョージズ・ホール〜マシュー・ストリート〜タウン・ホール〜チャーチ・ストリート〜ボールド・ストリート〜ジャカランダ〜LIPA〜アート・カレッジ〜イー・クラック

みなさんのおかげで、例によって笑いの絶えない、とてもピースフルなウォークツアーになった。
しかしマシュー・ストリートでずいぶんゆっくりしてしまい、ジャカランダでも開店前の内部見学をお願いしたために、時間が全然足りなくなってしまった。
実は、やむを得ずカットしたスポットも結構ある…ツアーに参加したみなさんには内緒だけど…。

NLW No.326に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月27日(月)・その2】 NLW No.330に掲載)

<ぶらぶらウォーク〜シティ・センター編>は12時にパブ<イー・クラック>の前で終了。そのままパブに入って、リヴァプール伝統料理<スカウス>をみんなでいただく毎年恒例の<スカウス・ランチョン>に突入した。

人数はウォークツアーからさらに5人増えて、23名。<イー・クラック>のパブ・スペースは、スカウス隊でいっぱいになってしまった。
毎年このパブで開催しているランチョンだが、実は今年は危ないところだった。アレンジを担当したミナコさんによると、なんと<イー・クラック>は1ヵ月前くらいにキッチンを閉鎖し、フードサーヴィスをやめてしまったのだそうだ。
しかしミナコさんがお願いしてくれたおかげで、我々のために特別に作ってくれることになり、ホッとひと安心。無事にランチョンの開催となった。

ありがたいことに、例年通りに、ノーマルなスカウスと、肉の入っていない<ブラインド・スカウス>の2種類をちゃんと用意してもらえた。
思わず笑ってしまったのは、皿やスプ―ンはすっかり処分してしまっていたので、なんと近所のパブ(グレープスというパブだ)から借りて来て間に合わせたということだった。

…といういきさつなのであまり文句は言えないのだけど、今年のスカウスはあまりスカウスらしさがなくて、ちょっと残念。スカウスというよりはシチューという感じだった。もちろん、これはこれで美味しかったし、しっかりおかわりまでして堪能した。
<イー・クラック>のみなさん&ミナコさん、どうもありがとう!

バックガーデンでみんなで記念撮影をして、解散。
水割りさんたちと一緒に、今日のギグ会場であるキャヴァーンに向かう。これが最後のギグだ。
僕の部屋でチューニングを済ませて、いざマシュー・ストリートへ。さっきまでの快晴はどこへやら、空は濃い雲でおおわれ、小雨まで降り出していた。

本人たちも「燃え尽きた」と口をそろえるように、昨日の2本のギグで全精力を使い果たした水割りさんたちは、ずいぶんとリラックスした様子だった。
きっと、最高のパフォーマンスが出来たという満足感と自信が、そうさせているのだろう。

疲れはとっくにピークを越えているし、喉のコンディションもいいわけがない。昨日のようなステージははっきり言って望むべくもない。なにしろもう「燃え尽き」てしまってるんだから…。
このラスト・ギグは、自分たちのために楽しんでやろう。コードを間違ったっていい、声が出なくてもいい、クォリティは二の次にして、のびのびやろうじゃないか…。
彼らはそういう気持ちだったはずだし、僕もそれでじゅうぶんだと思っていた。少なくとも、キャヴァーンに到着するまでは…。

2時半、キャヴァーン・クラブに到着。
水割りのラスト・ステージは、大きい方の<キャヴァーン・バック>だ。客席はすでに超満員で、バックステージにたどり着くのにもひと苦労だった。
<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>である今日は、リヴァプールじゅうから人々がライヴ演奏を楽しむために街に繰り出して来ている。リヴァプールの外からやって来たビートルズ・ファンが目立っていた昨日までのライヴとは、明らかに客層が違う。地元率80%以上という感じだ。この会場だけで、何百人ものスカウサーが集まっている。

ステージではアルゼンチンの人気バンド<Nube 9>が演奏している。
フェスティヴァルのメインステージにも抜擢されるだけあって、ものすごく上手い。フロントの女性プレイヤー、ラクレシアさんはお人形さんのような可愛らしさだ。

バックステージでMCのスティーヴンと挨拶。ほぼオンタイムで進行しているとのこと。水割りの出番まであと20分と少し。
ジョニー黒田さんとしのポンさんが即興で<ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン>をデュエット。楽器も弾いている。ラフな演奏だけど、無茶苦茶カッコいい。
ドン田中さんは椅子に座ってしばし瞑想(あるいは睡眠)中。マサ井上さんはエフェクター類のチェック…でもなんだかちょっと緊張気味だ。

そこへ、いきなりNube 9のメンバーが駆け込んできた。もちろんステージでは演奏が続いている。<レディ・マドンナ>だ。
「誰かタバコ持ってない? タバコの箱を包んでるセロファン貸して!」
コーラスの小道具に使うんだなと合点したジョニーさんが渡すと、彼は礼を言ってステージに引き返して行った。

Nube 9のステージも終わりが近いようだ。会場のボルテージは最高潮に達している。
この辺からだんだん、水割りのみなさんの表情が変わってきた。さっきまでのリラックスモードはどこに行ってしまったのだろうか…なんだか空気が重くなったような気がした。

それまでじっと無言だったドンさんが口を開いた。
「よし、やっぱり<ボーイズ>やる」
僕を含めた4人から、自然に歓声が上がった。さ〜すがリーダー、そうこなくっちゃ!

ドンさんがステージで歌うのは、<アクト・ナチュラリー>か<ボーイズ>のどちらかだ。この2曲には消耗度に大きな差がある。ドンさんは今日はかなりしんどそうで、「<ボーイズ>なんかやったら最後まで絶対持たない。<アクト・ナチュラリー>で行く」と言っていたし、他のメンバーもそれで当然と納得していた。「いいよいいよ、今日はみんなで楽しんでやろうよ」と。

しかしドンさんはそれを撤回して<ボーイズ>をやると宣言した。そして他のメンバー全員がそれを歓迎した。
いつの間にか4人とも、「楽しむなんて言っている場合じゃない。全力を出し切ろう」という気持ちになっていたのだ。
ドンさんのひと言は、バンドへのゴーサインだった。「いっちょやったろうぜ!」宣言だった。

そうだよな、と僕は思った。
「リラックスして楽しもう」なんて生半可な気持ちでステージに上がれば、今日のオーディエンスには太刀打ちできないだろう。彼ら、彼女らは、バンドが楽しむ姿を見たくてここに来ているわけではない。1年に一度のエンターテイメントを求めてここにいるのだ。そして今行われているNube 9のステージは、オーディエンスの基準値をほぼ最高レヴェルまで引き上げてしまった…。

水割りの4人は、敏感にそのことを感じ取ったのだ。僕は何も言わなかったし、彼ら自身がそういう話し合いをしたわけでもない。でもみんな同じ気持ちだったと思う。
疲れているとか、昨日いい演奏をしましたというエクスキューズは、ステージに上がれば何の意味も持たない。結果はどうあれ、真剣勝負で向かって行こう…。

とはいっても、水割りはやはり水割りで、そこには悲壮感とか決死の覚悟のようなものは微塵もなかった。みんな普通に振舞っている。
高校球児のように大きな声を出さなくても、朝青龍のように大見栄を切らなくても、気合いはちゃんと入るのだ。

大盛況のうちにステージを終えたNube 9が、意気揚々とバックステージに戻って来た。
さっきのメンバーがジョニーさんに近寄り、使用済みとなったセロファンを差し出した。
「ありがとう。助かったよ。これはちゃんと返すよ」
これにはみんな大笑い。ジョニーさんも苦笑しながら受け取った。

ようし! 俺たちの出番だ!!

NLW No.330に掲載)



【利物浦日記2007 / 8月27日(月)・その3】 NLW No.357に掲載)

水割りの<ビートル・ウィーク>ラスト・ライヴが、キャヴァーンのDJ、スティーヴのMCで始まった。

<キャヴァーン・バック>はほとんど満員。300人近く入っていたんじゃないだろうか。
多くは地元のスカウサーたちだが、これまでの水割りのライヴを観てわざわざ足を運んでくれたリピーターも少なくない。もちろん、スカウスハウス・ツアーのみなさんも勢ぞろい。ミナコさん&イアンさんの顔も見える。
恐ろしいことに、その全員が、最初からパワー全開モードになっているのだ。誰もが「このライヴを楽しんでやるぞ!」という顔をしている。間違いなく、これまでで最もワイルドなオーディエンスだ。

昨日までのギグで精も魂も尽きていたはずの水割りだったが、オーディエンスに負けない気迫とパワーで1曲1曲、力を振り絞って歌い、演奏し、シャウトする。
300人対4人の、まさに真剣勝負。最高にエモーショナルではあるけれども、ゾクゾクするような冷たいものも感じる。「1mmでも後ろに退いたら崩壊してしまうんじゃないか」という、緊張感と背中合わせのパフォーマンスなのだ。

今日の水割りには、前もって決めたセット・リストがない。
1曲終わるごとに、ジョニーさんが次に演奏する曲を他のメンバーに伝えている。
それはつまり、先のことは考えずこの1曲に集中しよう、全力投球しよう、ということなのだろう。
しかも、ヒートアップするオーディエンスを挑発するように、次から次へとアップテンポの演奏が続く。1曲終わると、息つく暇もなく次の曲がスタートする。

後ろで見ていて、心配になってしまった。
明らかにオーヴァーペースだ。今のうちは気力でカヴァーしているが、体力は、喉は、果たして最後まで持ってくれるだろうか…。

しかし演奏する彼らの表情は、実にイキイキとしている。
ただひたすら、今演奏しているこの1曲に集中し、ベストを尽くすことしか考えていないのだ。
(途中で力尽きるかもしれない。でも、そうなったらそうなったでいいか…)
そう自然に思うことができた。きっと水割りの4人も今、そういう気持ちというか覚悟で演奏しているのだ。

ペース配分をして無難に、安全にやっていたのでは、特に今日のようなオーディエンス相手には、自分たちの魂は伝わらない。そういうことなのだろう。
ジョニーさんが「今日は最後だから、やりたいようにやる」と言っていたのは、こういう意味だったのだ。
これが本当の意味での「ライヴ」というものなのかもしれない。

水割りのメッセージは、しっかりとオーディエンスに伝わっていた。
一緒になって歌う人、踊る人、叫ぶ人、呆然と立ちすくんでいる人…。
何度か客席に行ってみたが、そこには自意識や理性を完璧に放棄した人の大集団があった。気持ちいいくらい盛り上がっていた。

しかしステージの終盤、困った状況になってしまった。
MCのスティーヴの姿がまるで見当たらないのだ。
今日のように熱狂的に盛り上がっているステージを、パフォーマーの力だけで円満に終わらせることは至難の業だ。延々とアンコールを要求されることになる。オーディエンスをなだめるためには司会進行役(MC)は絶対に必要なのである。

途中でジョニーさんに「カズさん、あと何分?」と聞かれた。
ジョニーさんの読みはさすがで、本当はあと10分を切っていたのだが、とりあえず「あと15分です」と答えて時間稼ぎをした。そしてスティーヴを探しに走ったが、どこにもいない。

規定の45分を過ぎてもステーヴは現れず、水割りの演奏は延々と続く。後ろから見るとさすがに疲労の色は隠せない。あれだけ最初から飛ばせば、4人ともほとんど限界に達しているはずだ。
反対にオーディエンスは最高潮にヒートアップしている。ぎりぎりのところで踏みとどまってはいるものの、このままでは崩壊は時間の問題だ。それに、次のバンドはもうとっくに楽屋でスタンバイしている。
僕が出て行って終わらせようかとも考えたが…無理無理、絶対無理だ!

ステージとは反対側、客席の奥にいるPAスタッフのところに行った。大音量の中なので叫びながらの会話だ。

 僕:ねえ、スティーヴどこ?
 PA:さあ? いないのか?
 僕:いないんだ。でも次の曲で終わらせてもらうよ。
 PA:終わる? なんで? こぉ〜んなに盛り上がってるのに? 続け
   ろ続けろ!
 僕:いや、もう無理。これ以上やったら死んじゃうよ。次のバンドも待っ
   てるし。
 PA:そうか、OK。次が終わったらBGM流すよ。
 僕:うん、よろしく!

ステージの横に戻ると、<シー・ラヴズ・ユー>が終わり、すぐに<ツイスト・アンド・シャウト>が始まった。
「次で終わってください」とジョニーさんに伝えることはできなかった…。
でも、その必要はない。(あ、ジョニーさんはこの曲で終わらせるつもりなんだな)と理解できたのだ。5回もステージを観てたら、そのくらいのことは分かる。

問題はオーディエンスがすんなり納得してくれるかどうかだったが、その心配は杞憂に終わった。
ジョニーさんが最後の力を振り絞ってのシャウトを終え、水割りの4人が礼をする。割れんばかりの大喝采。
そしてジョニーさんはあらためて礼を言って、ギターを肩からおろし、バンド・メンバーを順番に紹介しだした。
なるほどなあ、うまいなあ、と感心してしまった。オーディエンスはショウの終わりをすんなり受け入れ、水割りの1人ひとりに賞賛のエールを送っている。
スムーズでハッピーなエンディングだ。めでたしめでたし…。

…とはならなかった。次の瞬間、信じられないことが起こったのだ。
4人の紹介を終えたジョニーさんが、オーディエンスに向かって、こう言いだした。
「水割りは4人じゃないんだ。5人なんだ。もう1人、俺たちのマネージャーを紹介します…カズ!」

ステージの袖にいる僕を指さすジョニーさん。
水割りの4人と、キャヴァーンのオーディエンスから、大きな拍手と歓声が送られる…この僕に!?
どうしていいかわからず、その場に立ち尽くしてしまった僕を、ジョニーさんが迎えに来た。これ以上ないくらいのにこやかな笑顔で。
「いいですいいです」と抵抗するが、有無を言わせず手を引っ張られて、センターマイクまで連れて行かれてしまった。
照明がものすごく眩しくて、客席の顔はまったく見えない。それに、信じられないくらい熱い。オーディエンスの拍手は続いている。うわあ、何て言おう…。

僕が言えたのは、たったのひと言だけだった。
「Cheers, mates!」
もちろんそれは、このキャヴァーンの素晴らしいオーディエンスへの言葉でもあり、水割りの4人への言葉でもあった。

あとでマサさんに聞いたのだが、僕を引っ張り出すことは、前の晩に4人で打ち合わせをしていたのだそうだ。
「カズさんに何かお礼みたいなのできないかなってみんなで考えてさ。へへ、どう? びっくりした?」

やれやれ、まったく、びっくりなんてもんじゃなかった。ほんっと心臓が止まるかと思った。
でももちろん、水割りのみなさんの気持ちは、すっごくうれしかった。

とにかくこれで、4日間・合計5回の水割りのギグが無事に終了した。
最初から最後までハラハラしっぱなしだったけれど、終わってみれば大成功、これ以上ないくらいのハッピーエンドになった。

水割りの演奏には、ある種独特のテイストがあったと思う。
そもそもこのバンドは元からあったわけではなくて、このフェスティヴァルへの出場だけを目的に結成されたのだ。
いや、正確に言うなら、急逝したバンド仲間の追悼のために結成したバンドだったのだ。
リヴァプールで演奏することが、世界中から集まって来るビートルズ・ファンの前で最高の演奏をすることが、亡き友への彼らなりの追悼だったのだ。

しかし、だからと言って彼らの演奏には、悲壮感とかジメジメしたものは少しも感じられなかった。思わず噴き出してしまうシーンはちょこちょこあったけれど。

過去いろんなバンドのブッキングを担当したが、今回の水割りほど親しみを持って受け入れられたバンドは存在しなかった。
ファニーなキャラクターだけでなく、彼らの「思い」や「こころざし」というものも、しっかりとビートル・ウィークのオーディエンスに伝わったと思う。

そして僕自身にとっても、これまででいちばん濃密で、達成感が得られたビートル・ウィークになった。
水割りや参加者のみなさんのおかげで、自分の仕事の価値や面白さを、あらためて実感することができたのだ。
もちろんどんな仕事でもそうだけど、自分が本当に好きでやっていることが、他の誰かの楽しみや幸せにつながるなんて、最高にハッピーなことだ。
ほんとうにありがとう。Cheers, mates!

(完)

NLW No.357に掲載)



【アウトロダクション】

「利物浦日記2007」は、以上で終了です。
このウェブページ制作のために、原稿と写真を再編集しました。写真はできるだけ初出時に使用していない未発表のものを選び、原稿については、メールマガジン(NLW)で発表したほぼそのままの文章を掲載しています。
ほぼ1年をかけて、断続的にNLWに連載したわけですが、こうやってまとめてみるとかなりのヴォリュームですね。今さらながらびっくりです。

しかしこれだけの文章を費やしても、2006年と同じく今回も、《スカウスハウス・ツアー》の終わりにはたどり着いていません。
スカウスハウス・ツアー2007ページをご覧になっていただければ分かるとおり、この後も、マージービートのスペシャル・コンサートやリヴァプール市制800周年記念祭、チャンピオンズ・リーグの試合などなど、ハイライトと呼べるようなイヴェントが続きます。まったく、信じられないような1週間でした。

あらためて振り返ってみると、この2007年の<ビートル・ウィーク>は、僕にとって、過去のどのフェスティヴァルよりも大きな意味を持つものでした。特に、「水割り」のみなさんと分かちあったシビレるような体験は、かけがえのない財産となっています。そのヴァイブレーションは、1年半が経過した今も続いてますし、これから先も消えることはないでしょう。
(2009年1月26日 山本 和雄)



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