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スカウスハウス・ツアー2009 「利物浦日記2009」(レポート)


「利物浦日記2009」 - SCOUSE HOUSE TOUR 2009 / REPORTS

【イントロダクション】 NLW No.391「フロム・エディター」より抜粋)

リヴァプールから帰ってきました!
リヴァプール名物の<インターナショナル・ビートル・ウィーク>、今年も最っ高にスバラシかったです。
世界同時不況の影響は、まったくないというわけではなさそうでしたが、フェスティヴァルの規模やクォリティは例年通りでしたし、ハイライトの<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>は、日・月の2日間で30万人を動員し、例年通りのお祭りとなりました。いつもと変わらぬピースフルな盛り上がりに安心しました。

<ビートル・ウィーク>はその名の通り、1週間かけて開催されます。
今年はどんな内容だったのかを、以下にざっと紹介しておきましょう。周辺イヴェントやスカウス・ハウスの独自イヴェントも含めています。

【水曜日】
 夜:キャヴァーン・クラブ&パブでトリビュート・バンドのライヴ

【木曜日】
 終日:キャヴァーン・クラブ&パブでトリビュート・バンドのライヴ
 夜:Nube 9(fromアルゼンチン)コンサート

【金曜日】
 朝:マージーフェリー・クルーズ&市内ウォーク・ツアー
 昼:アデルフィ・ホテルでライヴ
 夜:O2アカデミーでコンサート
 深夜:アデルフィ・ホテルでライヴ

【土曜日】
 朝:ビートルズ・オークション
 朝:ペニーレーン&ウールトン(+ディングル)・ツアー
 昼:ブルー・エンジェル&ジャカランダ・パーティー
 昼:カスバ・クラブ50周年記念イヴェント
 夕方:クラウス&アストリッドのサイン会
 夜:フィルハーモニック・ホールでコンサート
 深夜:アデルフィ・ホテルでライヴ

【日曜日】
 朝:メンディップス&20フォースリン・ロード見学ツアー
 終日:ビートルズ・コンヴェンション
 夜〜深夜:アデルフィ・ホテルでライヴ

【月曜日】
 終日:マシュー・ストリート・フェスティヴァル
 昼:ハード・デイズ・ナイト・ホテルでクラウスの絵画除幕式
 夜:フィルハーモニック・ホールでコンサート
 深夜:アデルフィ・ホテルでライヴ

【火曜日】
 終日:キャヴァーン・クラブ&パブでトリビュート・バンドのライヴ
 昼&夜:ザ・サーチャーズ・コンサート

…という感じです。毎年のことながら、連日イヴェントだらけ。キーボードを打つだけで指が疲れました。
ただ残念なことに、僕個人としては、今年はほとんど参加できませんでした。フィルハーモニックのコンサートは2本とも見逃してしまいましたし、コンヴェンションではどのゲストともお話をすることができませんでした。こんなことは初めてです。

なぜそういうことになったかと言うと…。
そうです、2組のビートルズ・バンドをフェスティヴァルにエントリーしていたからです。合計で14のギグがあったのですが、僕1人でコーディネートを担当したため、それだけでいっぱいいっぱいになってしまいました。

金〜月の4日間で14本。つまり1日3.5本ですね。大きなステージもありましたし、事前にサウンド・チェックが必要なギグもありました。さらにその合間に各国の取材クルーのためにインタヴューをセッティングしたりと、まさに目がぐるぐる回りっぱなしの毎日でした。バンド以外のお客さんのお世話もありましたしね。

ほんとうに忙しい1週間でした。物忘れが激しくてうっかりミスの多い僕が、大きな失敗をせずになんとかこなすことができたのは、ちょっとした奇跡のようにも思えます。今考えても不思議な気がします。
そのせいかどうか、帰国から3日が経った今でも時差ぼけは治らず、ぼんやりしています。疲労のメーターも針が降り切ったまま戻りません。
でもそれは、ささやかな充実感の伴うもので、決して不快ではありません。もうちょっとだけ、このぼんやり状態を味わっていたいなあと思います。

今年「日本代表」としてフェスティヴァルに出場した2つのバンド、<アスプレイズ>と<ブルーマーガレッツ>の活躍ぶりは、実にファンタスティックでした。
昨年旋風を巻き起こし、多くのファンを獲得したアスプレイズは、さらなる成長をオーディエンスに披露してくれました。特に、野外のビッグ・ステージでのパフォーマンスは、彼らの集大成といえるほど素晴らしいものでした。何万人もの群衆を前に、さわやかに全力を尽くす姿は、横から見ていても頼もしかったです。誇りに思える瞬間でした。

可憐な(?)女性4人組のブルーマーガレッツは、特におじさん世代に大人気でした。わが娘を見守るかのような優しげな視線を大量に浴びながらのライヴは、なかなかユニークな趣があったように思います。彼女たちの天真爛漫な笑顔に惹きつけられたのは、もちろんおじさんばかりではありません。ジェンダーやジェネレーションを超えて、実に多くのサポーターを獲得していました。メディアからの取材依頼もひっきりなしで、まさにひっぱりだこでした。

それから最終日に行われたザ・サーチャーズのコンサート。これはもう掛け値なしに素晴らしい、第一級のエンターテイメントでした。僕が観たのは昼の部だったのですが、夜の部にも行こうかと真剣に考えたほどです。翌朝のフライトを考えてあきらめましたが…。
ジェリー&ペースメーカーズとサーチャーズ。マージー・ビートや60年代のブリティッシュ・ビートがお好きな方なら、この2つのバンドは必見です。まだ未体験の方は、いつかぜひ!

NLW No.391「フロム・エディター」より抜粋)



【利物浦日記2009 / 8月26日(水)】NLW No.413に掲載)

【8月26日(水)】

2009年の<インターナショナル・ビートル・ウィーク>が開幕した!
…といっても、今日はキャヴァーン・クラブとキャヴァーン・パブでビートルズ・バンドが演奏するだけで、それ以外のイヴェントはない。リヴァプールの街はまったく平常どおりだ。
国内外からやって来るビートルズ・ファンの大部分もまだ到着していない。今日キャヴァーンに現れるオーディエンスは地元の人々がほとんどのはずだ。それ以外はよっぽど気が早い少数の常連ファンか、たまたまリヴァプールを訪れた観光客だけだ。
しかし明日からは人々が続々と集まりはじめ、あさっての金曜日からいよいよ本格的なお祭りがスタートすることになる。

僕自身は、5日前からリヴァプールに来ている。
アンフィールドでリヴァプールを応援したり(僕にとって初めてのアンフィールド敗戦となった。これほどやることなすことすべてがうまく行かないゲームも珍しいのではないだろうか)、友人と会ったり、レコードショップで指が真っ黒になるまで物色したり、ミュージアムを巡ったり、パブで呑んだくれたりして、ゆったりと今日まで過ごしてきた。
しかし明日からは、洗濯機の中に放り込まれたような、ぐるぐる目が回りっぱなしの日々が始まる。
もちろんそれは、僕にとって1年に1度の楽しみでもあるのだ。

今年の<ビートル・ウィーク>は、コンヴェンションや<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>などおなじみのビッグ・イヴェントのほかに、フェスティヴァル史上初めて<ブルー・エンジェル>がライヴ会場として使われたり、由緒あるフィルハーモニック・ホールでジョン・レノンの生涯を辿るミュージカル《In My Life》が再演されるなど、マニアックなプログラムが予定されている。

スカウス・ハウスでは、今年も「日本代表」のビートルズ・バンドをフェスティヴァルにエントリーしている。しかも2バンドだ。

まずは、珍しい女性だけのビートルズ・バンド<ブルーマーガレッツ>。
結成は2008年というできたてほやほやではあるものの、メンバー4人はそれぞれ別のバンドで実績を残している。
通常のレヴェルでは満足できない、より高い目標を持つミュージシャン同士で結成されたスーパー・バンドといえるだろう。

<ブルーマーガレッツ>には、合計7本のギグがブッキングされている。
中でも注目は、伝説のクラブ<ブルー・エンジェル>でのギグだ。1960年にアラン・ウィリアムズがオープンし、ピート・ベストがビートルズの、ビートルズがラリー・パーンズのオーディションを受けた伝説のナイトクラブ。60年代はリヴァプールきってのヒップなスポットで、ローリング・ストーンズやボブ・ディランなど多くのビッグ・スターたちが訪れたという。

今年のフェスティヴァルでは、主催者の計らいで、この<ブルー・エンジェル>と<ジャカランダ>でのライヴが企画された。
ビートルズがこの街を出てから半世紀が経とうとしている今、実際にビートルズが演奏したことのある場所で、今もバンドが演奏することができるのは、シティ・センターではわずか3ヶ所しかない。アラン関係の上記2ヶ所と、伝統と格式のある<エンパイア・シアター>だけだ。
<キャヴァーン>のフロント・ステージは80年代に再建されたレプリカだし、バック・ステージでは1999年にポール・マッカートニーが演奏したけれども、当然のことながらビートルズとしてではない。

ビートルズが演奏したまさにその場所で演奏する。ビートルズ・バンドにとって、これ以上の栄誉はあるだろうか。
しかも<ブルー・エンジェル>は<ジャカランダ>と違い、通常はバンドを呼んでのライヴは開催していない。現在はビートルズとはまったく無縁の、学生が集まる今風のナイトクラブだ。
ここでビートルズ・バンドが演奏するのは、もしかすると今回が初めてのことかもしれない。

<ブルー・エンジェル>のステージで演奏するのは、合計8バンド。その1つに<ブルーマーガレッツ>が選ばれたことは、ブッキングを担当した僕にとっても驚きだった。
緊張するといけないので、本人たちにはあまり詳しい説明はしていない。とにかくのびのび、ハッピーに演奏してもらえたらと思う。

そしてもうひとつのバンドは、2年連続での出場となる<アスプレイズ>。
去年は初出場ながら一大旋風を巻き起こした。並みいるメジャー・バンドを差し置いての大活躍。2008年最大のインパクトだったと思う。

その実績を主催者に評価され、今年は彼らのために、<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>の<ビートルズ・ステージ>でのギグがセッティングされた。
30万人が集まる月曜日、このステージに立つことができるのは、選びに選び抜かれた世界を代表するビートルズ・バンドのみ。その数わずか8バンド。ビートルズ・バンドにとって最大であり、最高に名誉なステージといっていいだろう。
わずか2年目にして、<アスプレイズ>はビートル・ウィークのトップ・バンドの仲間入りをすることになった。
プレッシャーはあるだろうけど、がんばってほしい。もちろん僕もステージに同行する。

アスプレイズはまた、日曜日に行われる<ビートルズ・コンヴェンション>でも重要なステージを担当することになっている。
“ビートルズの全13枚のアルバムをフル演奏する”という企画があり、フェスティヴァルを代表する13のバンドが、それぞれ1枚のアルバムを全曲、最初から最後まで通しで演奏するのだ。
<アスプレイズ>は、ビートルズ5枚目のアルバム《Help!》を演奏する。完全コピーが信条の彼らは、このワン・ステージのためだけにキーボードのサポート・メンバーを連れて行くという。もちろんキーボードもキーボード・スタンドもイスも持参だ。念のためだが、主催者から経費が出るわけではないし、がんばったからといってご褒美がもらえるわけでもない。すべては彼らのプライドがそうさせるのだ。

数万人のオーディエンスと対峙することになる<ビートルズ・ステージ>と、世界的なバンドとマニアックなファンが終結する<コンヴェンション>。
この2つの超メジャー・ステージを含めて、アスプレイズには6本のギグが予定されている。実はフェスティヴァルとは別にもうひとつシークレット・ギグがあり、それをあわせると<ブルーマーガレッツ>と同じ7本ということになる。

<ブルーマーガレッツ>と<アスプレイズ>は明日、マンチェスター空港からリヴァプール入りする。
彼女ら、彼らがどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、個人的にもほんとうに楽しみだ。
金曜日からの4日間で2バンドあわせて合計14本のギグ。そのすべてに立会い、サポートするのが僕の仕事だ。責任は重大で、例年にないハードなスケジュールであるのは確かだけれど、ワクワクする気持ちのほうがはるかに強い。

さあ、今年はどんなフェスティヴァルになるんだろう?

NLW No.413に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月27日(木)】NLW No.414に掲載)

【8月27日(木)】

快晴。
毎年泊まるB&Bをチェックアウトして、シティ・センターのアデルフィ・ホテルへ。<ビートル・ウィーク>のメイン会場だ。
主催者のレイさん、イアン、ヴィッキーに会って、バンドやお客さんのパッケージや宿泊所のキーを受け取る。

今年は、バンドとお客さんのほとんど全員がアデルフィの隣にある<グランド・セントラル・ユナイト>(以下GCU)に泊まる。なんと2万人を収容できる巨大な学生寮だ。
シャワーとトイレつきのワンルーム4部屋がひとつのフラットを構成し、それぞれのフラットには共同のダイニングルームがある。ダイニングルームには台所と冷蔵庫と電子レンジのほかにカウンターやソファセットもあって、気心の知れた小グループで宿泊するにはホテルよりも使い勝手がいい。本館1階には共同のランドリーもあるし、敷地内にコンビニもある。
リヴァプール・ライム・ストリート駅とアデルフィ・ホテルにはさまれたロケーションということもあわせると、まさに理想的な宿泊所といえるだろう。

ただし、そう何もかもいいことづくしというわけにはいかない。
部屋は狭いし、シャワーは固定で使いづらい。建物全体が安普請な作りのうえに常時ワイルドな学生たちに痛めつけられているせいで、築6年にして早くもかなりの部分にガタが来ている。これまでの経験でもちょこちょこと不具合があって、解決に苦労したことがある。今年はどうだろうか…。

バンド&お客さんのフラットをひととおりチェック。ひとつのフラットのフロント・ドアの金具が緩んでいて、それがひっかかってドアが開きにくくなっていたので、早速寮のスタッフに修理を依頼した。

さらに、あとで気がついたことだが、僕のところを含めた2つのフラットではボイラーのスイッチがオフになっていた。それはつまりお湯が出ないということで、夜になって素っ裸になってシャワーの蛇口をひねって初めて気がついた。
日本の熱帯夜ならまだしも、この寒いリヴァプールで水のシャワーなんて自殺行為に等しい。ほんとうに心臓が止まるかと思った。もちろん翌日にスイッチを入れてもらった。

そしてもう1つ、これも僕のフラットの話なのだが、2つの部屋とダイニングルームの窓が、フレームが歪んでいるために開きっぱなしになっていた。どうやっても閉められない。土曜日に到着するお客さんの部屋なのだが、このままでは寒くてとても寝られたものではない。
この問題についてはかなり苦労することになった。木・金・土と寮のスタッフに連日繰り返しクレームを続けたが、修理業者の手違いもあって、結局窓枠を直してもらうことができなかったのだ。

そうして迎えた土曜日の夕方、レセプションもクローズしてしまってもう駄目かと絶望しそうになりながら、警備員をつかまえて事情を話してみた。
警備員は誰かに連絡を取り、やがてクラッシュのジョー・ストラマーみたいな雰囲気の寮のスタッフがやって来た。彼はちょうど帰宅する寸前のところだったそうだが、いやな顔ひとつせず、僕のために必死で空いているフラットを探してくれた。地獄に仏というか、今日修理が済んだばかりのフラットがひとつだけあったので、ジョー・ストラマーと僕とでそのフラットにマットレスとシーツを運んだ。新しい部屋には用意されてなかったからだ。

というわけで、なんとかぎりぎりのことろで、お客さんに吹きさらしの部屋で寝てもらう事態は避けられた。ほんとうに危ないところだった。もうこりごりだ。

その親切で優秀なジョー・ストラマーに聞いた話だが、この寮はメンテナンスがまったく追いついていないのだそうだ。マナーの悪い学生によるダメージがあまりにもひどい、ということだ。言われてみれば、窓枠があんなにゆがむなんてことは、普通に使っていたらまずあり得ない。
「普通の日の晩に来てみるといい。ここはカオスだぜ。あっちこっちで叫び声やら大音響の音楽やらが響いてる。頭がおかしくなるよ」
とジョー・ストラマー。

普段はほとんどフルハウス状態なので、まとまったメンテナンス期間は年度替りの夏休みしかない。つまり8月に集中して行う必要があるわけだが、追い込みとなる最終週を<ビートル・ウィーク>に提供しているために、なかなか思うように行かない。というわけできちんとしたメンテナンス作業が完了しないまま新年度の学生を迎えて、その場しのぎのメンテナンスを繰り返すことになる。それが何年も続いているので、スタッフとしても半分お手上げ状態のようだ。
なるほど、そりゃあたいへんだろうなあと少し同情してしまった。

木曜日に話を戻そう。

11時。
<ビートル・ウィーク>にあわせて毎年開催されるレコード・フェアへ。今年の会場はマリオット・ホテルだ。
レコード盤を見て回るのは楽しい。何時間いても飽きない。
スカウスハウスの通販用と自分のコレクション用に何枚か購入した。

14時。
スーパーマーケットの<テスコ>で買い物。
2リットルの水のボトルを5本、4ロール入りのトイレットペーパーを5パック、それから紙コップや紙皿、プラスティックのフォーク&ナイフのパーティー・パックを買って、GCUまで持って帰る。もちろん全部僕が使うわけではなくて、バンド&お客さんが泊まる各フラットに配るものだ。
バンドのみなさんには、例年ならビールをパックで買って各冷蔵庫に入れておくのだが、ちょっとこれ以上は持てないし、買出しに何度も往復する元気も時間もない。悪いけど今年は勘弁してもらうことにした。ごめんね。

15時20分。
一番乗りのお客さん2名を迎えにライム・ストリート駅へ。
1人はひとり旅の女性N.Tさんで、とても海外旅行中とは思えないような小さい荷物しか持っていないので驚いた。
もう1人はプロフェッショナルのカメラマンY.Mさん。対照的に巨大なバッグを2つ抱えての登場で、こっちにもびっくりした。撮影の機材がたくさん入っていてものすごく重いはずだが、Y.Mさん自身はまったく平気そう。「これぐらいは軽い軽い。ぜんぜんたいしたことないですよ」とまったく気にしていない。あとで聞くと、あわせて40kg以上もあるそうだ。

まずY.MさんをGCUに案内し、それからN.Tさんをアデルフィ・ホテルに案内。チェックインを手伝う。
その後はY.Mさんにリヴァプールの街を簡単にガイドして、ライム・ストリート駅へ。
17時発・マンチェスター空港行きの鉄道に乗った。

19時半。
<アスプレイズ>と<ブルーマーガレッツ>、そして彼らのファミリー&フレンズを乗せた飛行機は、ほぼ定刻どおりに到着。
手配しておいた大型コーチとの連携もうまく行って(マンチェスター空港のターミナル3はなぜか車の待機スペースがなく、いつも苦労するのだ)、全員がスムーズに乗り込んでリヴァプールへ。みんな元気そうだ。
1名をアデルフィへ、その他全員をGCUに案内し、21時50分に再集合して街に繰り出す。

まずはおすすめのフィッシュ&チップス店<ロブスター・ポット>で腹ごしらえ。
この店のスタッフの若いにいちゃん&おねえちゃんがとても愛想がよくて、すぐに仲良しになってしまった。にいちゃんのほうはガールフレンドが日本人で、来年日本に行く予定があるそうだ。これからの数日間、仕事がない日は我々のギグを絶対に観に行くと約束してくれた。

その後はキャヴァーンで少しライヴを観て、早めに宿に戻った。といっても0時はまわっていたけれど。

さて、これで準備はオッケー。明日からいよいよ本番だ!

NLW No.414に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月28日(金)・その1】 NLW No.416に掲載)

【8月28日(金)】

朝起きて外を見ると、あいにくの雨だった。
いや、わざわざ外を見るまでもなく雨だった。ザアザアと激しく降る音で目が覚めた。
今日は朝からマージー河クルーズを含むウォークツアーだ。フェリーには屋根があるからいいけど、雨の中を歩くツアーはかなり厳しいだろうな。
でもやるしかない。ほかの日に延期するわけにも行かないのだ。
まあリヴァプールの、というかイギリスの天気だから、ずっとこのまま降り続くこともなかろう。クルーズを先にして、その間に雨が上がってくれることを祈ろう。

8時50分に集合して、タクシー3台に分乗してピア・ヘッドのフェリー・ターミナルへ。
ターミナルは新しくなっていて快適だったのだが、フェリー乗り場へのプロムナードがまだ工事中で屋根もなく、一生懸命走ったけれどみんな見事にずぶぬれになってしまった。
しかし面白いことに、我々がフェリーに乗ったと思ったら雨はすぐにやんでしまった。もうちょっとだけでいいから、早くやんでほしかったなあ。
クルーズが終わるころには晴れ間が広がり、さわやかな風が吹いていた。白い雲と青い空を背景に浮かびあがるロイヤル・ライヴァー・ビルディングが美しい。
さっきまでの暗くて寒い景色とはえらい違いだ。

クルーズ後はフェリー・ターミナルの中にある<ビートルズ・ストーリー>別館のショップで買い物。
グッズのラインナップが充実していて、これがなかなか好評だった。僕も思わずいくつか購入してしまった。

買い物タイムが終わったのが10時15分。ウォークツアーの開始…なんだけど、僕を含めてほとんどの人は朝ごはんを食べていない状態。さすがにお腹が空いてきたので、<フィルポッツ>へ案内することにした。何年か前に「全英No.1サンドウィッチ・ショップ」に輝いたお店だ。
しばしの朝食タイム。みなさんにはものすごく喜んでもらえた。もちろんサンドウィッチは最高に美味しかった。

その後はキャッスル・ストリートを歩き、マシュー・ストリート界隈をガイドしてツアーを終了。
引き続いて日用品の買い物タイムとなり、チャーチ・ストリートのショップやクレイトン・スクエアのテスコを案内した。

15時にGCUに集合してマシュー・ストリートへ。
16時からキャヴァーンのフロント・ステージで<ブルーマーガレッツ>のファースト・ギグだ。スカウス・ハウスとしても今年最初のギグになる。セキュリティのスタッフに挨拶をして狭い楽屋へ入って、いよいよ始まるぞとちょっとワクワクした気分。毎年のことだけれど、この緊張感は結構好きだ。

オーディエンスの数は、少なくもないし、多くもない。金曜日の夕方にしてはまずまずといえるだろう。
<ブルーマーガレッツ>はかなり緊張していたみたいだけれど(ベースのムーミンさん以外)、持ち前の愛嬌と確かな演奏力できっちりとファースト・ステージをやり遂げた。

実は僕自身、<ブルーマーガレッツ>のステージをナマで観るのはこれが初めて。
予想よりもずっとずっといい演奏だった。驚くほどオーソドックスで、基本がしっかりしている。そして、ステージでの4人の表情がとても素晴らしい。

終演後はおじさん数名が楽屋にへばりついてサインや写真をねだっていた。そのうちの1人は僕にも「ブルーマーガレッツのTシャツがほしいんだ。たのむから売ってくれ。え? 
今持ってない? いつならいいんだ? そうか、次のときには絶対に持ってきてくれよ。忘れんなよ」
とかなりしつこかった。フィンランドから来たおじさんだった。
そう、フィンランドといえばムーミンの国だ。

NLW No.416に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月28日(金)・その2】 NLW No.418に掲載)

<ブルーマーガレッツ>のファースト・ギグが無事に終了してひと安心。
しかしゆっくりしている暇はなく、僕はこの後も結構忙しかった。
主催者と打ち合わせをしたり、GCUのスタッフに部屋の修理の依頼をしたり、帰途に着くお客さんを見送ったり(そう、もう帰ってしまうお客さんがいたのだ)、晩ごはんを食べたりしてちょこまかと動き回った。

19時に再びGCUに集合。
<ブルーマーガレッツ>のセカンド・ギグのためだ。今度の会場はキャヴァーンのバック・ステージ。フロントよりもステージが大きく、客席も広い。1999年にポール・マッカートニーが<ラン・デヴィル・ラン>バンドをバックに《ミレニアム・ライヴ》を行ったステージだ。

<ビートル・ウィーク>での初めてのギグがキャヴァーンのフロントで、その3時間後に今度はキャヴァーンのバックでギグ。初日からいきなりの晴れ舞台2連発となったわけだが、<ブルーマーガレッツ>はニコニコの笑顔で乗り切った。

ステージの上での彼女たちは、緊張して混乱している姿を無理に取り繕おうとしない。アガっている自分たちをそのままさらけ出して、そのうえで楽しんで演奏しようと努力している。こんなに嬉しそうに、楽しそうに演奏するバンドを僕は見たことがない。イノセントな笑顔が彼女たちの最大の武器といえるかもしれない。同時に、岩山に咲くデイジーのような純粋なひたむきさも伝わってくる。

岩山にデイジーが咲くものなのかどうかは知らないけれど、とにかくその姿が、オーディエンスの心に自然な共感とサポート精神を喚起するのだ。みんな思わず、身を乗り出して応援している。
「がんばれ、だいじょうぶ、俺たちがついてるぞ」
とでも言うように。
ステージが進むうちに緊張は少しずつ溶けていき、会場はフレンドリーで親密な空気に徐々に包まれていった。

<ブルーマーガレッツ>の次の次、22時からは同じステージに<アスプレイズ>が登場。2年連続でのエントリーとなった彼らの、2009年ファースト・ギグだ。
ファースト・ギグでいきなりキャヴァーン・バックとなると、普通のバンドならビビってしまうところだが、<アスプレイズ>にはその心配はない。それどころか、彼らにとってこのギグは、明日から続く大きなステージのためのウォーミング・アップという位置づけなのだ。

ウォーミング・アップといっても、もちろん彼らが手を抜いて演奏するわけではない。緊張とリラックスのバランスが見事で、しかもエンターテイメントになっている。余裕と貫禄を感じさせるステージだった。

終演後、<ブルーマーガレッツ>のさとみさんが思わずつぶやいた言葉が印象的だった。
「やっぱアスプレイズはうまいな。悔しいけど」
何とも頼もしいひと言だ。そうそう、その意気、その意気。<アスプレイズ>に追いつき、追い越す気持ちでがんばってほしい。

ここで、<ビートル・ウィーク>公式プログラムに掲載された、<ブルーマーガレッツ>と<アスプレイズ>の紹介文を披露しておこう。
僕が原文を書き、ミナコさんに英訳してもらったものだ。ほぼこのままの形で掲載されている。自分で言うのもナンだけど、よく書けているんじゃないかと思う。

<The BlueMargarets> ----------------------------------------------

The BlueMargarets are a fresh band from Tokyo formed in 2008, they are acclaimed as Number 1 Girls Beatles band in Japan. The members are - Sam (as John), Moomin (as Paul), Yuka (as Ringo) and Satomi (as George).
When they received the entry confirmation from the Beatle Week, all the girls jumped for joy. They have been over the moon’ ever since.

“Do you have any difficulty as a girls Beatles band?”
Sam, Moomin and Yuka said “Some songs can be challenging to sing because the key is low”, “it can also be difficult to compete with so many powerful male Beatles bands”. On the other hand Satomi confessed in a more emotional and feminine view ? “Sometimes I get confused and wonder if my feeling towards dearest George comes from respect or love.” and then she smiled.

I asked the 4 girls about their aspirations for the Beatle Week.
Sam: I want to breath the air of Liverpool to the fullest and have fun performing as The Beatles I love.
Moomin: There’s nothing more wonderful than to perform where the Beatles were born and raised.
Yuka: I want to make it shiniest moment in my life. I am sorry for my husband but I am more enthusiastic about this gig more than our own wedding.
Satomi: I will make the most of it with my whole heart to play in Liverpool, the place I love. We hope our gig will make you imagine if The Beatles had been girls, it would have been like us.

Initially their idea for the name of the band was “Marguerite” as in the flower, so it was supposed to be “BlueMarguerite”. However, as none of them could spell the word correctly, they decided to call themselves “BlueMargarets” eventually.

The BlueMargaretsは、2008年に東京で結成されたばかりだが、女性のビートルズ・バンドとしては日本でナンバー1の実力を持つ。メンバーはSam (as John), Moomin (as Paul), Yuka (as Ringo) and Satomi (as George)。
Beatle Weekへのエントリーの通知が届いたときはメンバー全員が跳び上がって喜んだ。それ以来ずっと、月に登るような気分で毎日を過ごしている。

「女性ならではの苦労は?」と尋ねると、Sam, Moomin and Yukaは「キーが低くて歌いにくい曲がある」「男性のパワーにはかなわない」と口を揃える。しかしSatomiの悩みはもっと切実で女性らしいものだ。「大好きなGeorgeへの気持ちが『尊敬』なのか『愛している』なのか、時々わからなくなるの」と笑った。

4人に、Beatle Weekへの意気込みを語ってもらった。
Sam:リヴァプールの空気をめいっぱい吸い込んで、大好きなビートルズになりきってはじけますっ!
Moomin: ビートルズが生まれ育った場所で演奏出来る、こんなすごいことはないです。
Yuka: 私の人生で一番輝いている時間にしたい! 旦那には申し訳ないけど、自分の結婚式以上に気合が入っています。
Satomi: 大好きなLiverpoolで演奏できることを心から楽しもうと思います。
「もしもビートルズが女性だったらこうなんだろうな」っていうライブにしたい!

ちなみにバンド名の由来だが、最初に彼女たちの頭にあったのは、花のマーガレットだった。つまりはBlueMargueriteとするべきだったのだが、誰も正しい綴りが書けなかったために、BlueMargaretsになったということだ。

<The Aspreys> ----------------------------------------------

The Aspreys were formed in Tokyo in 2005 by 4 members who had high aspirations to reproduce the sound, look and performance of the Beatles to perfection. The band consists of experienced musicians - Kiyohiro 'Lenny' Kamei (as John), Kenji Kubo (as George), Yuki Kikuchi (as Paul) and Takashi 'Anchan ☆' Sugisawa (as Ringo).

The Aspreys made their dream-come-true debut appearance at The Beatle Week last year. They grabbed the audience’s heart with the contrast of their solid and tight performance and humorous and friendly MC. The cheers and applause built up as the band performed one gig after another.
Particularly at the night of the Beatles Convention, their stage at the Adelphi Hotel Crosby Suite resulted in an incredibly emotional experience for the band, as if they were living a dream.

This year, there are 2 big stages for them to perform.
One is at the Adelphi Hotel Derby Suite on the Beatles Convention night. They are playing the complete set from The Beatles’ fifth album “Help”.
(The name of the band originated from a jewellery shop in London called "The Asprey" which appeared in the Beatles' second film "Help" in the scene when Ringo Starr ran in to remove the ring which was stuck on his finger.)

Another appearance is on “the Beatles Stage”, a special stage in Derby Square for the Mathew Street Festival on Bank Holiday Monday. Even this tough skinned band The Aspreys, none of them have played to an audience of thousands before. Keep your eyes peeled for their show.
Are you ready to ROCK?

The Aspreysは、「ビートルズのサウンド、ヴィジュアル、パフォーマンスを完璧に再現したい」というこだわりを持った4人により、2005年に東京で結成された。メンバーはいずれも経験豊富なKiyohiro 'Lenny' Kamei (as John), Kenji Kubo (as George), Yuki Kikuchi (as Paul) and Takashi 'Anchan ☆' Sugisawa (as Ringo)。

昨年、長年の夢だったBeatle Weekに初出場した彼らは、がっちりと引き締まった硬派な演奏と、対照的にファニーでフレンドリーなMCでオーディエンスのハートをがっちり掴んだ。ギグを重ねるたびに群衆も拍手もヴォリュームを増していった。特にBeatles Conventionの夜、Adelphi Hotel Crosby Suiteでのステージは、彼らにとってはまるで夢の中で夢を観ているような、信じがたいほどの感動的な体験となった。

彼らには今年、2つの大きなステージが用意されている。
ひとつは、Beatles Conventionの夜、Adelphi Hotel Derby Suite。彼らはここで、ビートルズ5枚目のアルバム“HELP!”の全曲を演奏する。
(彼らのバンド名は、ビートルズ2作目の映画“HELP!”で抜けなくなった指輪を外してもらうためにリンゴ・スターが入ったロンドンの宝石店 'The Asprey' からつけられた)

そしてもうひとつは、Bank Holiday MondayのMathew Street Festival、Derby Squareに特設される'Beatles Stage'だ。百戦錬磨のThe Aspreysとはいえ、数万人のオーディエンスを前に演奏するのは全員が生まれて初めてのことだ。彼らがどんなパフォーマンスを披露するのか、大いに期待してほしい。
Are you ready to ROCK?
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NLW No.418に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その1】 NLW No.419に掲載)

【8月29日(土)】

すんばらしい快晴。
今日は朝からバスツアーだ。集合はGCU玄関前。少し早めに部屋を出て、<セイヤーズ>でヴェジタブル・ソーセージロールとミルクを買って戻って来た。みんなの集合を待ちながら食べる。僕の朝ごはんだ。

午前9時にツアー出発。去年に続いて今年も、16人乗りのミニバスをチャーターした。
バスの予約の際には、「ドライヴァーはリヴァプールの道を知ってる人を」と事前にリクエストをしておいた。去年のドライヴァーはリヴァプールの道に不案内で、僕がをナビをするはめになってしまっからだ。

あれはおそろしく疲れるツアーだった。生まれてこのかた車なんていっぺんも運転したことがなく、道を覚えるのも苦手、それにだいいち普段は日本で暮らしているこの僕が、イギリス人のドライヴァーをナヴィゲートするなんて、ほんと冗談みたいな話だ。
ツアーの途中でそのドライヴァーに、「おまえさんよく道知ってるな。ここに住んでるのか?」と訊かれた。「住んでへん住んでへん。住んでたらこんな苦労するかいな!」と、いちおうツッコミを入れておいた。

さて、今年の話だ。
ディングル〜ペニー・レーン〜ウールトンを3時間で巡るツアー。まずは、リンゴの生まれ育ったディングルへ。

リンゴの生家があるマドリン・ストリートは、再開発のために全戸が立ち退きとなり、現在は誰も住む人がいない。新しい住宅が建設される予定で、古い集合住宅は本来ならとっくに取り壊されているはずなのだが、2008年の世界同時不況のために、計画がストップしたままとなっている。我々ビートルズ・ファンにとっては幸運なことだ。

できることなら、ずっとこのままの状態であってほしい。いや、もし可能ならば取り壊す計画自体を取りやめ、以前の住民を呼び戻してあげてほしい。僕の記憶にある、たくさんの花や子供に彩られた、カラフルなマドリン・ストリートの姿をもう一度見てみたい。部外者の勝手な妄想ではあるけれど。

リンゴのファースト・アルバムのジャケットにもなったエンプレス・パブは、まだ朝なので当然ながら開いていない。外から写真を撮るだけにして、横のアドミラル・グローヴ10番地へ。リンゴが4歳のころからビートルズで有名になるまで暮らした家だ。

この家に住むマーガレットさんのことは、過去の「利物浦日記」に何度も書いた(と思う)。チャーミングで頑固なブリティッシュ・レディで、僕の大好きなおばあちゃんだ。
4日前の火曜日に訪ねて家族や共通の友人のことを報告し、土曜日朝にツアーで訪問することを伝えた。マーガレットさんはもちろん快く了解してくれたが、同時に、昨今の礼儀やマナーを知らないツーリストたちの行状を僕に訴えた。

具合が悪くて寝ているときもしつこくベルを鳴らされたり、お茶を用意している間にリビングの置物を盗まれたり、無断でヴィデオ撮影され、それをインターネットで流されたり…。
地元のツアー・ガイドたちについても、気を遣ってあちこちに連れ出してくれるのはありがたいけれど、そのせいで階段で足を踏み外して捻挫をしたり、まずいディナーを食べらされたり(伝統的なブリティッシュ・フードを愛するマーガレットさんにとっては、フレンチやイタリアンは「ポッシュだけどまずい」料理なのだ)して、それなりに苦労しているそうだ。

訪ねて来るビートルズ・ファンにはできるだけ部屋の中を見せてあげることにしているマーガレットさんだが、それはすべて無償で、ツーリスト個人や旅行社からはもちろん、誰からも金銭的な援助は受けていない。100パーセント、ボランティアとしての行為なのだ。
<ナショナル・トラスト>はジョン・レノンの家とポール・マッカートニーの家を管理して公開している。それを個人でやっているみたいなものだ。いわば「ひとりナショナル・トラスト」だ。そうマーガレットさんに言うと、ほめられるかと思ったら、怒られた。

「あのね、ナショナル・トラストは拝観料をとってやってるわよね。私は違う。誰からも、1ペニーももらってない。お金がほしくてやってるんじゃないのよ。お金がほしくてやってると思われるのも嫌なのよ」

はい、すみません。
マーガレットさんは、このことに関してはおそろしく頑固だ。相手が誰であろうが、お金は絶対に受け取らない。家を見学させてもらうこちら側としては、少しでも受け取ってもらえるほうが気が楽なんだけど。
だから、クリスマスカードや写真を送ったり、訪問するときにはちょっとしたお土産(高価そうなものだとやっぱり怒られてしまう)を持参する。そうすると、マーガレットさんは喜んでくれる。思いを込めたやりとり。それがマーガレットさんの望むことなのだ。

「遠くからわざわざ訪ねて来る人を追い返すことはできないでしょう? ヘンな人も来るけど、いい人とたくさん出会える。喜んでもらえる。世界中から送られてくるお礼の手紙に返事を書くのはたいへんだけど、それも張り合いがあっていいのよ」

はい、わかりました。そのとおりです。
マーガレットさんには誰にも逆らえない。きっとリンゴ・スター本人であっても。

マーガレットさんは若いころからこの通りに住んでいて、少年時代のリッチーのこともよく憶えている。もちろん、リンゴのお母さんエルシーや継父ハリーとも親しかった。

しかし残念なことに、今このリヴァプールでは、リンゴは人気がない。嫌われていると言ってもいいくらいだ。
記念すべき08年のイヴェントで久しぶりに帰郷し、コンサートでリヴァプールへの思いを綴った歌を披露したまではよかったのだが、記者会見で「リヴァプールを懐かしく思うことは一切ない」と断言したことが市民の反感を買い、強烈なバッシングを受けることになってしまったのだ。

「リンゴも素直に謝ったらよかったのにね。今からでも遅くないんじゃないかな?」とマーガレットさんに水を向けてみたが、「もう遅いわよ。莫迦なことしたわよね。誰も許してなんかくれないわよ」とにべもない答えが返ってきた。
マーガレットさんもあの発言にはおかんむりなのだ。

NLW No.419に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その2】 NLW No.420に掲載)

ビートルズ・ツアー。ディングルのあとはリヴァプール郊外へ出発。
ペニー・レーン、ジョンの最初の家、ジョージの生家を訪ねる。どれもおなじみのスポットだが、さわやかな天気でとても気持ちがいい。

そしていよいよウールトンへ。
まずはセント・ピーターズ・チャーチだ。
1957年7月6日のお祭りの日、17歳と9ヶ月のジョン・レノンは、クォリーメンのリーダーとしてこの教会の庭とホールで演奏した。
一方、15歳になったばかりのポール・マッカートニーは、クラスメイトのアイヴァン・ヴォ―ンに誘われてこのお祭りにやって来た。
アイヴァンはジョンの幼なじみでもあり、家はジョンの家のほとんど真裏にある。

教会のバックヤードで行われた昼間の演奏でジョンのカッコよさに惹きつけられたポールは、ホールでの夜の部にも足を運び、未来のパートナーとの対面を果たす。ジョンはジョンで、ポールの音楽センスにショックを受け、後にグループに迎え入れる決断を下すことになる。

というわけで、まずは教会の裏庭を案内。クォリーメンが演奏した場所は、今では近づくことができないばかりか、最近作られた生垣のおかげで、見ることすら難しい状態になってしまっていた。残念だが仕方がない。

ジョージ伯父さん(ミミ伯母さんの夫)の墓、そしてエリナー・リグビーの墓を案内して、少し離れたところにある教会ホールへ。
ホールの扉は開かれていて、中では教会のスタッフ、デイヴさんが団体さんを相手にジョンとポールが出会ったときのことを説明している。
実はこのデイヴさん、小さいころのジョンと知り合いで、ジョンとポールの出会いの場にも居合わせたという、まさに伝説の生き証人なのだ。

デイヴさんに挨拶して、さて、ブルーマーガレッツを紹介しよう…と思ったら、彼女たちはすでに団体さんに取り囲まれていて、写真撮影に引っぱりだこ状態になっていた。
なんとその団体はフィンランドからのご一行で、何人かは昨晩のブルーマーガレッツのギグを観に来ていたのだ。よく見ると、僕にしつこくTシャツをねだったおじさんもそこにいた。

ホール内のギャラリー・コーナーには、素敵な絵が1枚飾られていた。ジョンとポールが出会ったまさにそのシーンを描いた絵で、昨年まではなかったものだ。
それを見たブルーマーガレッツのさむさんとムーミンさんが早速、ジョンとポールになりきって再現する。その姿がとても可笑しく、可愛かった。

最後の案内スポットは、もちろんストロベリー・フィールド。
いつ来ても、この場所にはこの場所にしかない空気がある。時間の流れ方がここだけ違うんじゃないかという気がするくらいだ。赤い門の向こうはうっそうと茂った森のようになっていて、鳥の声が響き、時おり風が木々を揺らしている。
その向こうには目が痛くなるような眩しい光が広がっていて、思わず引き込まれそうになる。うっかりすると自意識が遠のいきそうな、現実を忘れてしまいそうな、不思議な感覚。まさに、“Nothing Is Real”な気分に浸れる場所なのだ。

シティ・センターへ戻る。
リヴァプール大聖堂を横目に見て、ジョンが通ったアート・カレッジの横でバスを降りた。ポールとジョージの母校であるリヴァプール・インスティテュートは隣の建物だ。

これにてツアー終了。今年のドライヴァーはとても温厚なリヴァプール出身のおじさんで、なんとデビュー前のビートルズを観ているということだった。すごいなあ。
地元だからあたり前といえばあたり前なのだが、リヴァプールではこういう人がいっぱいいるのだ。

しかしここからが面白いところで、このおじさんはビートルズじゃなくてローリング・ストーンズのファンだったんだそうだ。
「学校を出てからロンドンで就職をしたからね」というのがおじさんの言い分だったけれど、考えてみれば、デビュー前のビートルズとデビュー直後のストーンズには、ある種の共通点はあるように思える。ワイルドでとんがっていて、反抗的でクールでヒップ。ロックン・ロール史上で最もビッグなこの2大バンドのリアルな姿を体験できたなんて、幸せすぎる。信じられないというか、ほとんど奇跡みたいだ。そう僕が言うと、おじさんは「んー、まったくそのとおりだよな」と嬉しそうな顔をした。

NLW No.420に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その3】 NLW No.426に掲載)

予定どおり3時間でウールトン&ペニーレーンのビートルズ・ツアーが終了。
LIPAの前でバスを降り、ジョン・レノンの行きつけだったパブYe Crackeをちょろりとのぞいて、そのまま下り坂を降りた。
9時にスタートして非常に密度の濃いツアーを3時間。我々の胸は感動と思い出でいっぱいになったが、お腹はすっからかんのペコペコだ。早く昼ごはんにありつきたい。

ブルーマーガレッツは1時20分から<Blue Angel>でギグ。1時前には会場入りしなければならないが、もうすぐ12時半になろうとしていた。
10人以上の団体である。どこかのレストランに入っても、メニューを選んで注文して料理が出てくるまでに30分はかかるだろう。ファストフードならぎりぎり間に合うかもしれないが、あいにく近くに適当な店はない。どうしたものか…。

しかし坂を降りきったところに、ベストの解決策がそこに扉を開けて待っていた。
チャイニーズ・レストラン<Mei Mei>である。
何度か来たことがあるが、ここのスタッフはフレンドリーで、料理も美味しい。
チャイニーズなら調理時間は早いだろう。しかも、店の前の道を渡ればすぐそこはブルー・エンジェルという絶好のロケーション!

全員がひとつのテーブルについて、好みのランチメニューをオーダー。
店のマネージャーが、お揃いの衣装を着ているブルーマーガレッツに興味を持ってくれた。可愛らしい女性のビートルズ・バンドというのはとても珍しいし、どこに行っても歓迎される。というわけで、店内の目立つところに、ブルーマーガレッツのフライヤーが掲示されることになった。

料理ができるまでの時間を利用して、僕だけブルー・エンジェルへ。
PAのスタッフに進行状況を確認すると、20分くらい押しているとのこと。ラッキー、ゆっくりご飯が食べられるぞ。
スタッフに「今向かいのレストランで食事をしているんだ。1時15〜20分くらいに来るよ」と伝えて、Mei Meiに戻った。

僕が注文したのは、シンガポール・チョウメン。カレー味の焼きそばである。麺はビーフンだった(と思う)。
他のひとたちもだいたい焼きそばかチャーハンを食べていた。とても好評だった。

ブルーマーガレッツのギグは、1時40分にスタートした。
この日記の最初にも書いたけれど、このブルー・エンジェルが<ビートル・ウィーク>のイヴェントに使われるのは今回が初めてだ。ビートルズ史で重要な役割を果たし、名前を知らないビートルズ・ファンはいないくらいに有名なスポットであり、さらに現在でもライヴが行われる状態にあることを考えると、これまで縁がなかったのは不思議としかいいようがない。

伝説のクラブで演奏するという貴重な機会に恵まれたブルーマーガレッツだが、さすがにどのメンバーもかなり緊張しているように見えた。
ブルー・エンジェルの地下はとても狭い。天井も低い。ステージには段差がなく、バンドとお客さんは同じ高さで、しかも手を伸ばせば触れるくらいに接近している。たぶんツバもたくさんかかっているんじゃないかと思う。
しかし彼女たちは、プレッシャーや緊張に負けることなく、バンドが一丸となってなんとか乗り切った。
アスプレイズのメンバーや、さっきウールトンで会ったフィンランド人たちも応援に駆けつけてくれたおかげもあったかもしれない。
彼女たちにとってベストのパフォーマンスではなかっただろうし、オーディエンスを熱狂的にドライヴしたともいえないが、会場の怪しいムードとともに、印象に残るステージになった。

● ● ●

4時には、アスプレイズのメンバーたちと一緒にロイヤル・コート・シアターへ。
今夜9時半からここで特別なギグを行うことになっていて、そのサウンドチェックのためだ。
ギグはCCTのダイレクター、ビルさんの知人の結婚披露宴での演奏で、ビートル・ウィークのプログラムとはまったく関係がない。ビルさんから直接オファーされてアスプレイズが快諾したわけだが、それは、イギリスの結婚披露宴そのものに興味があったこと、そして伝統あるロイヤル・コート・シアターで演奏できる、ということが大きい。

サウンドチェックは無事に終わった。
しかし我々の後に、フェスティヴァル常連バンドThe Repeatlesがやってきて、サウンドチェックを始めたことが気になった。
披露宴で、アスプレイズはビートルズ・ソングを演奏し、リピートルズは60年代のロックの名曲を演奏する。それは知っていたのだが、本番の演奏順はアスプレイズが先だ。
先ほどのサウンドチェックでせっかく楽器やマイクのセッティングをアスプレイズ用にしたところなのに、それが今からリピートルズ用に変わってしまうことになる。
リピートルズがサウンドチェックをした後に、ちゃんとアスプレイズ仕様に戻しておいてくれればいいのだが…。

NLW No.426に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その4】 NLW No.428に掲載)

ロイヤル・コート・シアターでのサウンドチェックを終えたアスプレイズは、その足でシール・ストリートの<Alma De Cuba>へ。
古い教会(St Peter's Churchという名前だ)を改装したこのレストラン・バーは、モダンで斬新なデザインと美味しいラテン・フードが評判で、リヴァプールでもトップ・クラスの人気スポットだ。今年初めて<ビートル・ウィーク>で使われることになった。
会場に入った瞬間、豪華さと荘厳さにあふれた、まるで映画のセットのような素晴らしくフォトジェニックなステージに、思わず「へえ〜、すごいなあ〜」と見とれてしまった。

しかしそれもつかの間だった。
誰かが僕の腕をぐいっとつかんで、
「おーい、セキュリティ! こいつチケット持ってないぞ!!」
と叫んだのだ。
びっくりしてその小柄な禿げ頭のおじさんをよく見ると、ああなんだ、CCTのダイレクター、デイヴさんじゃあないか…やれやれ。

「はっはっは、カズ、びっくりした? はっはっは。まあ楽しんでくれ」
と、ぎゅっと握手をしながらデイヴさん。
まったくもうこのおっさんは…。いつもこの調子でからかわれるんだよなあ。まあ悪い気はしないんだけど、一瞬ドキッとしてしまった自分がちょっと悔しい。

楽屋に入る。
ステージの袖には、MCのニールが座っていた。キャヴァーンの専属DJで、前の利物浦日記にも書いたけど、MCとしては間違いなくこのフェスティヴァルのナンバー・ワンだ。
去年のアスプレイズは一度もニールにMCをしてもらう機会がなくて、それだけが心残りだったのだが、今年は2ステージめにして早くも実現した。個人的にとてもうれしい。
ただこのニール、僕が引率したバンドのギグでは、必ずといっていいほど最後に僕をステージにひっぱり出してオーディエンスに紹介する。もちろん僕がお願いしているわけではなくて、頼むからやめてくれといつも言ってるんだけど…。

5時20分、予定より5分遅れでアスプレイズのギグがスタートした。
このステージでは、レニーさんはアコースティック・ギターのギブソンJ160Eで登場。その1本だけで30分のステージを通してしまった。当然、選曲もそれにあわせたものになっているのだが、それが意表をつきながらも絶妙で、また会場の幻想的な雰囲気によく溶け込んでいた。普段あまりライヴで取り上げられないような曲が並んでいるのに、まったく違和感がなくて、ぐいぐい引き込まれる。
しかも、明日のビッグステージとなるアデルフィでのアルバム《Help!》全曲演奏のリハーサルまで同時に済ませてしまったのだから、さすがというほかない。

演奏された曲は、こんな感じだ。
<No Reply><I'll Follow The Sun><I Need You><Another Girl><Norwegian Wood><I'll Cry Instead><Honey Don't><Can't Buy Me Love><I Don't Want To Spoil The Party><Help!>
アンコール:<I Feel Fine><Eight Days A Week>

途中、ユウキのベースの弦が切れるという珍しいアクシデントに見舞われたが、バンドは演奏をストップすることなく、そのままステージをやり遂げてしまった。

ここはどこで、西暦何年の何月で、何のために行われているのか…。そういう形而下での現実を忘れてしまいそうになるくらいに、パフォーマーとサウンドとオーディエンスがひとつになって同じ夢を共有することができたライヴ・コンサートだったように思う。

あとであんちゃんが言っていたのだが、このライヴこそが、2009年のビートル・ウィークでのアスプレイズに生命を与えてくれたのだという。
リヴァプール入りしてから体調は最悪で、思うように気合いも入らず、バンドとしても不本意な演奏しかできない状態だったのが、このステージで演奏している間に気力も体力も完全に復活して、これ以降バンドとしてのアンサンブルも完璧になったのだそうだ。
不思議なこともあるものだ。教会のマリア様から特別なパワーを授かったのかもしれない…。

演奏が終わっても、満場のオーディエンスからの拍手はいっこうに鳴り止まない。
誰もがアスプレイズの大ファンになってしまった。僕を含めて。実に実に、素晴らしいパフォーマンスだった。

しかし、その余韻に浸っている暇はなかった。
バンドがオーディエンスに手を振って後ろを向いた瞬間、MCのニールが、僕を呼んだのだ。
ドラムセットの横で写真を撮っていた僕は、オーディエンスから丸見えの状態。
全員の注目を浴びながら逃げるわけにも行かず、仕方なくステージの前へ。
いつものように、ニールは嬉しそうに僕を紹介する。こいつはカズで、このフェスティヴァルに毎年、日本から素晴らしいバンドを連れてきてくれる張本人で……。

僕は一言も言葉を発することもできず、ただ、ニヤニヤと照れ笑い。時々手をひらひらと振る。
ニールがあおるせいで、オーディエンスは僕にもたくさん拍手をしてくれた。
正直なところうれしい気持ちもないわけではないけど、やっぱり恥ずかしいなあ…。

NLW No.428に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その5】 NLW No.432に掲載)

<Alma De Cuba>でのアスプレイズのギグのあと、特に示し合わせたわけではないが、ブルーマーガレッツやそのファミリー&友人グループと一緒になって、宿へと歩いた。
ほとんど到着しかけたところで、「お腹が空いた」という声がちらほら。ちょうどライム・ストリートの<Crown Pub>が目に入ったので、少し早いけれど夕食にしようということになった。

このパブは店内が広く、フードメニューも充実している。2階に上がってテーブルについて、みんなでメニューを見る。僕も眺めてみた。フィッシュ&チップスでもいいし、パスタなんかもいいかも。どれにしよう…。
でも、ごはんを食べるのはやめて、ひとりで宿に戻ることにした。
スカウス・ハウスのお客さんが泊まる部屋の、窓のフレームがゆがんで閉まらなくなっていて、その修理ができているかどうかが気になっていたからだ。

木曜日から毎日、寮のスタッフに修理してくれるように訴えているのだが、今日の昼の時点でも直っていなかった。
今朝の話では、「修理の業者が順次直してくれることになっている。昨日間違えて違う棟を作業していたから、今日はもう一度言っておくよ」ということだったが…。

お客さんは今日の午後に到着した。今晩からこの寮に泊まる。
しかし窓が閉まらない状態では、夏とはいえこの寒いリヴァプールでは、とてもじゃないが寝られたもんじゃない。暖房はちょろっとしか利かないし、毛布だってない。雨だって部屋に入ってくる。
僕と同じフラットで隣の部屋だから代わってあげることも考えたんだけど、僕の部屋のベッドや洗面所はもう使ってしまっているので、それもできない。

寮について、建物の下から見上げると、やはりというか、窓は開いたままだった。修理はできていないのだ。
もう6時を過ぎていて、スタッフのオフィスには鍵がかかっている。もちろん修理業者の姿も見えない。明日は日曜日で明後日は祭日だから、修理をしてもらうのはほとんど絶望的だろう。

しかしここであきらめるわけにはいかない。なんとかしなければ。

警備員のおじさんをつかまえて、現状を説明してみた。
おじさんはたいそう同情してくれて、まだひとりだけ残って仕事をしている寮のスタッフに連絡を取ってくれた。
ほどなくして現れたそのスタッフは、30代前半くらいだろうか。見るからにたくましい体つきと、意志の強そうな顔をしている。あちこち駆けずり回っているらしく汗だくだ。

彼は僕の説明を聞くと、
「そうか、悪かったね。今日の修理で使える部屋がいくつかできたから、移動してもらえるかもしれない。ええと、ひとりだけ移動させられればいいのかい? 
それとも4部屋全員?」
「僕と3人のグループだから、できたらフラットごと移動がいい」
「オーケー、ちょっと待ってくれ。探してみよう」

彼は手にした部屋のリストをひとつひとつチェックして行く。
「んん…ここだけだな。1つだけある。ただしマットレスがないかもしれない。
その場合はマットレスごと移動してもらうことになるけど」
「いいよいいよ。窓は壊れてないんだね?」
「壊れてない。でも今から見に行こう」

2人でそのフラットへ。
4つある部屋も、ラウンジも、窓はちゃんと閉まっていた。トイレは流れるし、お湯も出る。1部屋のマットレスがついていなかったので、彼と一緒に僕の部屋から運び込んだ。枕とシーツと掛け布団も。

「どうもありがとう。ほんと助かったよ。どうなるかと思ってたけど」
「いやほんと、申し訳ない。でも理解してほしいのは、この寮には2万人も入るんだが、みんな使い方がかなり荒っぽい。ひどいもんだよ。ちゃんとした修理ができるのはこの夏休みの間しかなくて、それだけでも難しいのに、Beatle Weekで何千人もここに泊まらせてしまう。だからどうしてもおっつかなくて、いろいろと問題がでてくるんだよ。俺たちもベストを尽くしてはいるんだが」
「オーケー、よくわかったよ。感謝してる。残業お疲れさま」
「そうか、ありがとう。やれやれ、俺もやっと帰れるよ」

お客さんに電話で連絡して、部屋が無事に使えるようになったことを伝えた。
3人グループは部屋のことを特に心配していたふうでもなく、アルバート・ドックでお買い物中ということだった。
スカウス・ハウスの名誉リピーターであるYちゃんと、初参加となるAさん&Yさん。
3人が帰ってくるのを待って、新しいフラットに案内した。

お客さんに寒い部屋で寝てもらうことにならなくてほんとうによかった。
かなり際どいところだったけれど、なんとかなるもんだ。でも、もしあのままCrownパブでご飯を食べていたら、こうはならなかったかもしれない。

やっとひと息ついたと思ったら、もう7時半を過ぎていた。
ゆっくりしている時間はない。9時からキャヴァーンでブルーマーガレッツのギグがあり、8時に彼女たちと寮の下で待ち合わせをしているのだ。

NLW No.432に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月29日(土)・その6】 NLW No.434に掲載)

午後9時、キャヴァーン・パブ。ブルーマーガレッツ4本目のギグだ。
マシュー・ストリートも人でいっぱいだが、この狭い店もぎゅうぎゅう詰めの満員。おそろしい熱気。外は寒いくらいなのに、ここはサウナみたいだ。タオルを持ってくればよかった。

ブルーマーガレッツは、<シー・ラヴズ・ユー>でギグをスタート。<キャント・バイ・ミー・ラヴ><フロム・ミー・トゥ・ユー>と立て続けに演奏して、最初のMCとなった。
タイトなスケジュールでコンディションの調整は難しいに違いないが、まったく問題なさそうだ。
次の曲<イット・ウォント・ビー・ロング>が始まったところで、僕はステージ担当のPAによろしくと伝えて、パブを出た。

● ● ●

9時半に、アスプレイズとロイヤル・コート・シアターの前で待ち合わせ。この大きなホールを使った結婚式で、これからお祝いのギグを披露するのだ。
シアターの中に入ると、すぐそばにある部屋に案内された。楽屋である。窮屈というほどではないが、決して広くはない。
ウィングスはちょうど30年前の1979年に、このロイヤル・コート・シアターで4回のコンサートを行っている。ということは、ポールもこの楽屋を使った可能性が高い、ということだ。僕もアスプレイズのみんなも、ちょっと興奮した。
しかしじっくり感慨にふけっている時間はほとんどなく、すぐに担当のスタッフが呼びに来た。

楽屋はステージのすぐそばにあるのだが、そのメインのステージには新郎新婦などの主役たちがずらりと座っている。
今日我々が演奏するのはそのステージではなく、客席よりも後ろにあるダンス・スペースにある小ステージになる。
つまり、楽屋からステージまではかなりの距離がある。昼間のサウンドチェックのときは、ステージの横から入って客席の横を突っ切って行くだけでよかったのだが、さすがに結婚式の真っ最中にそのルートを通ることはできない。
スタッフに先導されて、迷路のような狭い狭い通路を歩く。階段を降り、左に曲がり、右に曲がり、階段を上り、また右に曲がってやっとステージへの扉にたどり着いた。途中で厨房のそばを通ったり、コックさんに出会ったりもした。

「こりゃもう一度ひとりで戻ってみろと言われても絶対無理だよね」
と、みんなで笑った。
セレモニーでは、メインステージの男性によるスピーチが行われているところだった。

照明の乏しい中、アスプレイズは演奏の準備を始めた。ここで案の定、ユウキが忘れ物に気がつく。あーあと思ったが、仕方がない。はいはい、俺が楽屋に取りに行って来るよ。戻って来れなかったらごめんな。

しかし人間ここぞという場面ではカンが冴えるもので、意外とスムーズに迷路を往復することができた。そのことをアスプレイズに褒めてもらおうと思ったのだが、彼らは彼らで、新たな問題に直面していた。
ステージのセッティングが、すべて後に演奏するバンド<リピートルズ>用のものになっていたのだ。サウンドチェックの順番は彼らのほうが後だったので、PAのスタッフはもう一度、アスプレイズ用に戻しておかなければならなかったのに、どうやらそれを忘れていたようだ。

急いで自分たち用に設定をやり直さないといけないのだが、今はセレモニーの真っ最中、しかもスピーチが行われているために、音を出してチェックすることができない。久保さんがアンプを通さずにちょろっとギターを鳴らしただけでスタッフに注意されてしまった。僕なら「どうせいっちゅうねん」と啖呵をきるところだが、アスプレイズはあくまでも冷静に準備を進める。しかし緊張は隠せない。彼らの心臓の鼓動が聞こえてくるようだった。

とりあえずスピーチだけでも早く終わらないかなあと待っていると、新郎&新婦が我々の前を横切って、ダンススペースでスタンバイ状態となった。新郎のケヴィンはスコティッシュなのだろう、タータンのキルトをはいている。
…えーと、ということは、アスプレイズの演奏にあわせて踊る、ということなのかな…。

スピーチが終わった。最後のフレーズは、
「今からケヴィンとジルにファースト・ダンスを踊ってもらいましょう」
というものだった。

ファースト・ダンス? 結婚してカップルが最初に踊るダンスで、ウェディング・セレモニーの定番といっていいものなんだけど…。そうか、我々がそのダンス音楽を担当するのか。ああ、そうか、そういうことだったのかあ…と、今ごろ気がついてももう遅い…。

ケヴィンとジルが手を組んでダンスを始める体勢になった。スタッフに促されてアスプレイズも演奏体勢に入る。このままスタートだ。こうなったら運を天に任せて、出たこと勝負だ。がんばれ、アスプレイズ。

ここで新郎のケヴィンが、バンドに向かって小さく一言。
「スローで」

んなあほな!
このタイミングでリクエストするかあ〜?
アスプレイズを見ると、彼らの耳にはまったく入らなかったようだ。そのままスタートしようとしている。これはマズイかも…。

彼らが1曲目に用意したナンバーは<イット・ウォント・ビー・ロング>。ハードなロックンロールだ。まさに歌いだそうとするこの瞬間、スローナンバーに変更しろと僕が伝えに行く時間はない。無理に行けば、セレモニーのムードが台無しになってしまうだろう。
しかし、これから始まるのはイントロのない激しいロックンロールである。主役の新郎新婦はスローなナンバーを想定している。このままスタートしてファースト・ダンスはぶち壊しにならないだろうか。どうしよう…。

僕の逡巡はほんの3,4秒ほどだったろう。
レニーさんの豪快なシャウトが炸裂。祈るような気持ちでケヴィン&ジルを見ると、彼らはまるで何事もなかったように優雅にダンスをスタートさせた。
これにはほんとうに驚いた。
スローな曲を想定していたのに、である。しかもカウントもイントロもまったくなしで、いきなり始まったのに、である。
踊りだすタイミングは、冒頭の ♪It won't be wrong〜♪ の「wrong」になるわけだけど、彼らはちゃんとそこから踊り始めた。「It」を聞いてから「wrong」までの時間はわずか1秒ほど。その1秒の間に、彼らは想定外の曲のテンポとスタートのタイミングを完璧に把握したのである。
まったく、見事と言うほかなかった。パートナーと踊ることが日常生活の一部になっている人たちというのは、こういうものなのだろうか…。

無事に<イット・ウォント・ビー・ロング>を踊り終わったケヴィン&ジルに、満場の拍手が沸き起こった。
ケヴィンはそれに応えて一礼し、「みなさんもどうぞこちらに出て踊ってください」と一言。
広いダンス・スペースはたくさんの人で埋まり、それからのおよそ1時間はダンス・タイムとなった。
アスプレイズはすっかり緊張から解き放たれ、目の前で踊るイギリス人たちを眺めながら気持ちよさそうに演奏していた。

ハラハラ、ドキドキがてんこ盛りのウェディング・ギグだったが、結果は大成功。
一部とはいえイギリスの結婚式に参加できたのは貴重な体験だったし、アスプレイズのバンドとしての能力の高さをあらためて認識させられることになった。

演奏のあとは、次のバンド<リピートルズ>の演奏を、みんなでビールを飲みながら観た。ケヴィンがおごってくれたのだ。アスプレイズの演奏を気に入ってくれたようで、よかったよかった。
ダンスの曲があれでよかったのかどうかは、ちょっと恐くて訊けなかったが…。

NLW No.434に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月30日(日)・その1】 NLW No.435に掲載)

【8月30日(日)】

日曜日は毎年恒例、「ビートルズ・コンヴェンション」の日だ。
メイン会場のアデルフィ・ホテルで、午前10時から明朝まで、えんえんとイヴェントが続く。グッズショップあり、ライヴ演奏あり、フィルム上映あり、ビートルズ関係者のインタヴューありの、何から何までビートルズづくし。雰囲気もインターナショナルかつピースフルで、ファンにとってはまさに至福の1日である。

で、僕はというと、朝7時に起きて、寮のエントランスに7時半に集合。昨日到着したYちゃんグループ3名と一緒にタクシーに乗り込んだ。
これから、ペニー・レーン&ウールトンのビートルズ・ツアーなのだ。
昨日バスツアーをやったところだけど、Yちゃんたちは昨日の昼すぎにリヴァプールに到着したために、参加してもらうことができなかった。

Yちゃん以外の2名は初のリヴァプール。
「どうしてもペニー・レーンとストロベリー・フィールドは見に行きたい。せっかくだからカズさんに案内してほしい」
とカワイイ女性にお願いされては、「忙しいから自分たちで回ってね」とはとても言えない。喜んで案内することにした。
しかし彼女たちは午前10時からの<Mendips & 20 Forthlin Road Tour>に参加することになっているので、ちょっと早いけれど7時半にスタートすることになったというわけだ。

イギリスの夏らしい天気。空の青が日本と違うように感じるのは気のせいだろうか。ひんやりした空気が気持ちいいし、当然ながらセミも鳴いていない。

郊外に出る前に、まずはホープ・ストリートの裏手にある、ジョン・レノンが生まれた産院へ。今は産院ではなく、建物だけ残っている。ここは昨日は案内できなかったので、Yちゃんたちはラッキーかもしれない。

少人数のタクシー・ツアーは、ひとつひとつのスポットで過ごす時間が少なくて済むし、フレキシブルに行き先を決めることができるところがいい。
ペニー・レーンでは、道の両端のストリート・サインで記念撮影をすることができた。ラウンドアバウトの反対側の端では記念撮影の順番待ちになることがよくあるが、さすがに朝8時前だとライバルはいない。静かなものだ。あまり知られていないけれど、このストリート・サインの向かい側には、ブライアン・エプスタインの母校がある。

歌に出てくるバーバーやバンクのあるラウンドアバウトをひと通り案内して、いよいよウールトンへ。

セント・ピーターズ・チャーチに入り、まずはクォリーメンの野外演奏スポットを、続いてミミおばんさんの夫・ジョージおじさんのお墓をガイド。そしてエリナー・リグビーのお墓に移動しようとしたところで、教会の管理人のグラハムさんにばったり会った。まだ8時すぎなのに、もう働いてるんだ。

「やあグラハムさん、おはようございます。早いですねえ」
「やあ、君か。おはよう。また来たの?」
「はい、ガイドツアーです。昨日も来たんですよ。ホールでデイヴさんに会いました」
「そうか、ご苦労さんだねえ。ホールのほうも見る?」
「もちろん。開けていただけるんですか?」
「いいよ。今から行く?」
「お願いしまーす」

ほんとうに親切な人なのだ、グラハムさんは。歩きながら会話は続く。

「カズ、ジョージおじさんの墓は知ってる?」
「知ってますよ。さっき案内したところです。そこでしょ?」

で、よせばいいのに僕は、ここでいらんことをグラハムさんに言ってしまう。

「ボブ・ペイズリーの墓はそっちですよね」

グラハムさんが知らないわけはない。ちょっと失礼な言い方をしちゃったかなと後悔したのも一瞬、まったく想像を超える答えに耳を疑った。

「うん、知ってる。うちの親父だもん」

…うちの親父?? んん???

「誰が?」
「ボブ・ペイズリーが」
「誰の?」
「俺の」
「誰が?」
「ボブ・ペイズリーが」
「誰の?」
「……俺の」

気が動転して、思わず何度も訊き返してしまう僕。まるで大木こだま・ひびきの漫才だよこれじゃ。チッチキチー。

ボブ・ペイズリーといえば、伝説のビル・シャンクリーとともにリヴァプールFCの黄金時代を築いた大監督だ。
シャンクリーが低迷していたチームを鍛え上げて基礎を作り、引き継いだペイズリーは70年代中盤から80年代中盤まで9シーズンの監督在任期間に、なんと6度ものリーグ優勝をもたらしている。残りの3シーズンのうちの2シーズンは2位。
つまりあきれるほど強かったのだ。その強さは国内だけにとどまらず、ヨーロッパ・チャンピオンにも3度輝くという偉業を達成。リヴァプールというクラブを世界最強のチームに育て上げた。
そのほかのタイトルもあわせると、ペイズリー時代に獲得したトロフィーの数は実に20。9シーズンで20である。圧倒的な業績ではないか。
今なおLFCが世界的な人気を博しているのは、まさにペイズリーさんのおかげなのである。

そのクラブ史上最強監督の息子さんが、セント・ピーターズ・チャーチの管理人として、今ぼくの目の前にいる。
サポーターとして何か言わなくちゃと思ったけれど、何と言っていいか、とっさに言葉が出てこない。グラハムさん本人も、何か言ってほしそうなそぶりは微塵もない。自慢げなニュアンスがまったくないのだ。

「俺の苗字、ペイズリーなんだよ。えーと、名刺今日持ってたかな…(とポケットをごそごそ)」
「あ、いいですいいです。前にもらってるから。そういえばペイズリーでしたよね、グラハムさん。でもびっくりしたなあ」
「そう? ははは」

などと話しているうちに、教会のホールに到着。
グラハム・ペイズリーさんは、ドアの鍵を開けて中を案内してくれた。
1957年6月ジョンとポールが初めて出会った場所である。ここを見ることができるのとできないのとでは、やはり大きな違いがある。
朝早いツアーだから中に入れるとは思ってなかったんだけど、グラハムさんに会えてよかった…。

セント・ピーターズ・チャーチのあとは、ストロベリー・フィールドを案内して、ジョージの生家を見て、シティ・センターに戻った。
トータルで2時間とちょっとの、実に効率的かつ濃密なツアーになった。Yちゃんをふくめて3人ともとても喜んでくれた。がんばって早起きした甲斐があったというものだ。よかったよかった。

僕にとっても、偉大なボブ・ペイズリーの息子さんに会えるという特別なツアーになった。毎年知らずに会ってたわけだけど…。

NLW No.435に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月30日(日)・その2】 NLW No.437に掲載)

由緒あるブリタニア・アデルフィ・ホテルが会場となる「ビートルズ・コンヴェンション」は、今年くさんの人でにぎわっていた。
12時30分、アスプレイズの4人とアデルフィのロビーで待ち合わせ。これからフランスのTV番組用の取材を受けるのだ。
ジャーナリストのフレデリックさんからは、2日前に取材の申し込みを受けた。
このフレデリックさんとは、夕方にもブルーマーガレッツのインタヴューを約束している。それともう1本、メキシコのフィルム製作クルーが、ブルーマーガレッツのインタヴューを収録する予定だ。
というわけで、今日は全部で3本のインタヴュー取材があるわけだ。とっても忙しいけれども、楽しみだし、気合いも入る。

アスプレイズのインタヴューでは、アデルフィの2階にあるカンファレンス・ルームがたまたま空いていたので、使わせてもらうことにした。といってもホテルに許可をもらったわけではなくて、ドアを開けてみたら誰もいないので勝手に入っちゃっただけなのだが。

アスプレイズはちゃんとステージ衣装で来てくれた。フィルムの撮影なので、やはり普段着よりもベターだ。フランス人のフレデリックさんは英語で質問し、僕が通訳をした。なごやかな雰囲気でなかなか楽しいインタヴューになった。

1時20分、アデルフィの中にあるライヴ会場<Crosby Suite>でブルー・マーガレッツのギグ。南向きで南東の壁がほとんど窓なので、陽光が部屋いっぱいに降り注ぐ。インドアでこれほど明るい会場はないだろうといつも思うのだけど、バンドにとってはあまり演奏しやすい条件とは言えないだろう。

オーディエンスも集まるには集まったが、まだ早い時間帯なので、緊張感というか盛り上げようという熱気はほとんど感じられない。それでも、ブルーマーガレッツはいつものように気合いと笑顔を全開にして10曲をパフォームした。残念ながらその結果はあまり芳しくなく、どんなにがんばってみても会場は盛り上がらない。のれんに腕押し、ぬかに釘。あまりの手ごたえのなさに、彼女たちの表情にもかすかに焦りの色が浮かぶ。なんとかしようとすれば余計に力が入り、それがアンサンブルにも影響する…。

決して演奏がダメだったわけではないし、オーディエンスが満足しなかったわけでもない。途中で帰る人はほとんどいなかったし、アンコールの拍手はかなり強烈だった。
にもかかわらず、全体的には空回りのようになってしまった。ではどうすればよかったのか…。

おそらく、彼女たちの緊張感や余裕のなさが原因だったのではないだろうか。雰囲気にのまれてしまった、とも言えるかもしれない。オーディエンスひとりひとりの表情を観察するくらいの余裕があれば、もう少し距離感は縮まったはずだ。
けれどもこれは仕方がないと思う。一生懸命に演奏した彼女たちを責めるわけにはいかない。楽しさとひたむきさが彼女たちの魅力なのだ。それだけはオーディエンスにしっかり届いたはずだ。

このギグには、僕がいつもお世話になっている2人のスカウサーが観に来てくれていた。パブ<ジャカランダ>の名物おじさんであるベーニーさんと、リヴァプールでナンバー1のビートルズ・ガイド、ジャッキーさんだ。2人とも、ブルーマーガレッツのパフォーマンスを心から褒めてくれた。決してお世辞ではなく。
まあベーニーはジャパニーズ・ガールが大好きなので、彼女たちのキュートなルックスだけでもうニッコニコだったんだけど…。

ほとんど休む暇もなく、僕はマシュー・ストリートへ移動。歩く途中で、昼ご飯を食べてなかったことを思い出した。これからキャヴァーンで3時にアスプレイズ、5時にブルーマーガレッツのギグがある。7時からはアデルフィでインタヴューが2本…ということは、今しかない。今何か食べておかなくちゃ!
セント・ジョンズ・マーケットの<セイヤーズ>でヴェジタリアン・ソーセージロール(£0.95)を1コ買って、歩きながら食べた。美味しかった。

3時、キャヴァーンのフロント・ステージでアスプレイズのギグ。彼らの考えたセット・リストがほれぼれするほどすばらしかったので、ここに紹介しよう。

<Cry For A Shadow><Roll Over Beethoven><Carol><Hippy Hippy Shake> <Lend Me Your Comb><All My Loving><So How Come><Some Other Guy><Matchbox><Soldier Of Love><Besame Mucho><I Saw Her Standing There> <Money><My Bonnie><Long Tall Sally><Sweet Little Sixteen><Ain't She Sweet>

おわかりだろうか。ビートルズのオリジナル・ナンバーはわずか2曲。そのうちの<All My Loving>を除けば、すべてデビュー前にこのキャヴァーンで彼らが演奏していたナンバーだ。マニアックで渋い曲がほとんどだけど、実に意外性のある、起伏と含蓄に富んだラインナップではないか。これだけのナンバーをずらっと並べられるバンドはそうはいないだろう。

しかし、中盤にさしかかったところで、アスプレイズのファミリーの方から突然、ダメだしが入った。あんちゃんの横に来て、「お客さんぜんぜん盛り上がってないよ! みんなもっと踊りたいのよ。踊れる曲やって!」
と叫んだのだ。

バンドが全員で考えて決めたセット・リストに強引にダメを出す姿には驚いたが(しかも本番中だ)、あんちゃんが即座に従ったのにはもっと驚いた。1秒も躊躇することなく、前のメンバーたちに軌道修正を指示。結果、僕が楽しみにしていたクールな名曲たちは、次々とメジャーなナンバーに差し替えられてしまった。
ああ、もったいない…。

その場の雰囲気を反映させ、臨機応変にステージを構成することが悪いとは思わない。ウケないよりはウケたほうがいいに決まっている。
けれども、せっかくコンセプトを持って臨んだステージなのだ。成功しようが失敗しようが、最後まで貫き通してみないことには、何も得られないではないか。
それに、仮にオーディエンスの盛り上がりが今ひとつだったとしても、それで失敗だったとがっかりすることはない。伝える意思があれば伝わる。観る人はちゃんと観ている。肝心なのは、演奏のクオリティであり、バンドとしての個性や信念なのだから。

ちなみに僕自身は、これまでフェスティヴァルにブッキングしたバンドの演奏曲目に口を出したことはない。相談されれば意見は言うつもりだけれども、相談されたことは一度もない。つまり100%ノータッチである。もちろん、会場が盛り上がらなかったからといって文句を言ったこともない。
どのバンドも例外なく、日本代表のビートルズ・バンドとしての誇りを持ってリヴァプールにやって来ているのだから、自由に、やりたいようにやってもらおう、と考えている。もしうまく行かなくても、そこから何かをつかんでもらえればいいのである。リスペクトの気持ちはいつも持っていたい。

NLW No.437に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月30日(日)・その3】 NLW No.439に掲載)

アスプレイズの後は1組をおいて、17時にブルーマーガレッツがキャヴァーンのフロント・ステージに登場する。
彼女たちにとって通算で6本目のギグ。キャヴァーンのフロントは、ファースト・ギグに続いて2度目になるが、前回はフェスティヴァル序盤の金曜日、今回はコンヴェンション・デイの夕方という違いがある。当然ながら、オーディエンスの数も期待度も前回とは比べ物にならない。ブルーマーガレッツの7本のギグのうちでも、最も重要なステージなのである。

しかし。
4時45分を過ぎても彼女たちは現れない。アデルフィでのギグのあと少し休んで、4時半には到着するように宿を出ているはずなのだが…。
ステージはオンタイムで進行中。心配になってキャヴァーンの外に出てみると、外は雨がしとしとと降っていた。マシュー・ストリートは大勢の人でごったがえしているが、みんな寒そうだ。
そこにブルーマーガレッツのさとみさんから電話。雨なのでタクシーに乗ってみたものの、今日はシティ・センター中心部の車の乗り入れ規制があったために少し離れたところで下ろされてしまい、道がわからないので人に訊きながら急いでこちらに向かっている、とのこと。なるほど。

そのまま待つこと2〜3分。人波の中にブルーマーガレッツ一行の姿を発見。嬉しくなって手を振ると、みんな必死の形相でこちらに向かって走って来た。雨の中、重い楽器を抱えているというのに…。

「カズさーん、遅れてすみません〜〜!! ギグは? ギグはだいじょうぶでしょうか?」
「あーぜんぜんだいじょうぶだいじょうぶ。遅れたってたいしたことないんだから、慌てなくていいよお」

わざとのんびりした調子で答えてみたけれど、彼女たちの気持ちを落ち着かせることはできなかった。なにしろ真面目で律儀だから、時間に遅れるなんて切腹ものだと思っているのかもしれない。それなら僕はいくつおなかがあっても足りないでござる。

5時直前に楽屋入りし、タオルで顔の雨と汗を拭いただけでステージに上がり、楽器のセッティングとサウンドチェック。全身びしょぬれだし、まだ息も上がったままだ。
客席はすでにフルハウス状態。湿度も温度も高いが、オーディエンスの発する熱気も尋常じゃない。ほとんどがブルーマーガレッツを目当てに集まって来た人たちで、みんなギグが始まるのを今か今かと待ち構えている。それが、彼女たちを余計にアセらせてしまっている。このままではちょっとまずいなあ。

本番直前、ステージ横で円陣を組んだ彼女たちの間に、割って入ることにした。
「ええと、ひと言いいかな。思わぬハプニングでコンディションは最悪。テンパってわけわかんない状態。だよね? でも、僕の経験から言わせてもらうと、こういう時にこそ、とんでもないエネルギーが出るものなんだ。だいじょうぶ、絶対に最高のギグになるよ!」

少しは落ち着いてくれたかもしれない。それに、たまたまだろうけど1曲目がよかった。ビートルズがデビュー前にハンブルグで録音した<クライ・フォー・ア・シャドウ>。ヴォーカルのないインスト・ナンバーで、テンポもややゆったりめだ。気持ちと動悸を静め、会場の空気をつかむのにぴったりではないか。
この1曲で、キャヴァーン全体がすっかりブルーマーガレッツのペースになった。

2曲目の<サム・アザー・ガイ>からは、オーディエンスと一体になって全速力で駆け抜けた。あっという間の14曲、45分。バンドもオーディエンスも、おそろしいくらいのパワーと集中力を放射し、会場全体をぐらぐらとシェイクした。後ろで見ていて、ゾクゾクと鳥肌が立ってしょうがなかった。まったくもう、とんでもないバンドだ。心配してソンしちゃった。

ギグは6時に終了。
6時半からブルーマーガレッツはフランスとメキシコのジャーナリストから2本のインタヴューを受けることになっているが、なにしろ雨と汗でぐしゃぐしゃ状態。このまま直行させるわけには行かない。宿でシャワーを浴びて着替えて来るように指示し、僕だけ先にインタヴュー会場のアデルフィ・ホテルへ。事情を説明すると、もちろん彼らは快く了解して待ってくれた。

7時からメキシコのドキュメンタリー・フィルム用のインタヴュー。ホテルの彼らの部屋の中で収録した。
途中で「何か1曲歌ってもらえませんか」というリクエストがあり、彼女たちはアカペラで<プリーズ・ミスター・ポストマン>をフルコーラス披露した。ハーモニーも素晴らしかったが、彼女たちの明るさと可愛さと屈託のなさには、みんなが参ってしまった。撮影クルーと僕は、途中で何度も顔を見合わせ、苦笑交じりに首を振りあった。

続いて、フランスのジャーナリスト、フレデリックさんのインタヴュー。こちらはホテル内にあるバー<Wave>を借り切って行われた。いや、例によってバーの許可をもらったわけではなくて、たまたまドアの鍵がかかっていなくて中は無人だったので勝手に使わせてもらったというだけなのだが。
このインタヴューもうまく行った。フレデリックさんもすっかり彼女たちのファンになってしまったようだった。

2本のインタヴューを終えてロビーに出ると、ちょうどそこを歩いていたビル・ヘックルさんに遭遇。主催者の中でもいちばんの重要人物だ。このチャンスを逃す手はない。

「ビルさんちょっとちょっと、ほら、ブルーマーガレッツですよ」
「やあ君たちが。うまく行ってる? 楽しんでる?」
「そりゃもう。サイコーですよ。まさかビルさん観てないの?」
「それが…すまん、次はいつ?」
「明日の午前11時。キャヴァーン・パブです」
「え? 11時? 朝の? う〜ん悪いけど時間が早すぎる。勘弁してくれよ、これから朝までここにいるんだから。その次は?」
「もうないですよ。それで終わり」
「なに? そうか、じゃあ…(ブルーマーガレッツの顔を見て)来年、かな?」
「(ブルーマーガレッツ一同)ら、らいねん〜!?」

ビルさんと一緒に記念撮影。ブルーマーガレッツに同行したZooさんに撮ってもらった。
あとで気がついたのだが、ちょうどいいタイミングでDJのニールが横を通りかかり、こちらを見ながら笑っている。いい写真になった。

NLW No.439に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月30日(日)・その4】 NLW No.440に掲載)

9時30分、アスプレイズと僕は、アデルフィ・ホテルのライヴ会場のひとつ、<Derby Suite>に集合。
彼らは10時からここで、ビートルズ5枚目のオリジナル・アルバム《Help!》の全曲を演奏することになっている。

今年のコンヴェンションの夜は、数年ぶりに《Album Years》企画が復活した。
これは、<ビートル・ウィーク>を代表するトップ・バンドがビートルズの曲をアルバム単位で全曲、最初から最後まで演奏するというもので、1バンドが1アルバムをトータルで担当し、年代順にリレーして行く。アンコールはなし、曲のカットや入れ替えももちろんなしである。
今年の《Album Years》は、アデルフィ・ホテルのメイン・ステージ(ボールルーム)とダービー・スイートの2ヶ所を会場とし、それぞれ夕方5時にスタートする。バンドのラインナップは以下の通り(カッコ内が担当アルバム・タイトル)。

Ballroom Derby Suite
05:00pm Revolver (Revolver) Hal Bruce (Rarities)
06:00pm The Mersey Beatles (Sgt. Pepper) Tripper (Please Please Me)
07:00pm Get Back Band (Yellow Submarine) Ringer (With The Beatles)
08:00pm Clube Big Beatles (White Album) The BlackBirds (A Hard Day's Night)
09:00pm Clube Big Beatles (White Album) The Elliotts (Beatles For Sale)
10:00pm Nube 9 (Abbey Road) The Aspreys (Help!)
11:00pm Nube 9 (Let It Be) Cavern Beat (Rubber Soul)

裏話をすると、主催側からは最初、「アスプレイズにはボールルームでの《Revolver》を担当してもらいたい」というオファーがあった。
コンヴェンションのハイライトとなるイヴェントで、しかもステージはアデルフィのボールルーム。これはすごいやと思って伝えたところ、バンドの返事は意外にも「NO」だった。「ビートルズのサウンドをリアルに再現する」というのがアスプレイズの信条であり、複雑なアレンジのあのアルバムの全曲を、自分たちの納得の行くレヴェルで披露できるとは思えない、というのが彼らが出した結論だ。

いや、ちょっとくらいアレンジ変えたって誰も文句言わないと思うんだけど…そもそもあの《リヴォルヴァー》完璧に再現することは求められていないんじゃあ…と彼らに言ってみたが、さっぱり聞き入れてもらえなかった。
まったく、頑固というか融通のきかないバンドである。でももちろん、だからこそアスプレイズはアスプレイズなのだ。

仕方なく主催者に「ごめんね」と断りの連絡を入れると、すぐに返事が来た。こんな内容だ。

「そうか、それでは《Help!》をやってもらえないかな。ただしメインステージじゃなくてダービールームで申し訳ないんだが」

今度のオファーには、アスプレイズも首を縦に振った。基本的にバンド・サウンドなので、ライヴでの再現性にはほとんど問題はない。その時点で彼らのレパートリーにない曲もあるし、<イエスタデイ>のストリングスをどうするかなどの課題はあるが、本番までにじゅうぶんに対応できるだろう。
たとえメインステージではなくても、大きな舞台であることに変わりはない。
それに、アスプレイズのバンド名は、映画《Help!》に登場した宝石店<Asprey>に由来するのだ。彼らがやらなくて誰がやる。まさにうってつけのキャスティングではないか。

10時前にステージの袖に移動。前のバンド<エリオッツ>が《Beatles For Sale》を1曲1曲片づけて行くのを見守っていると、ニーナがやって来た。
ニーナは<ビートル・ウィーク>のプログラムの編集者である。毎年メールをやりとりしていておなじみの仲なのだが、よく考えると実際に会うのはこれが初めてなのだった。写真で見るよりずっとチャーミングな女性だ。
アスプレイズと記念写真を撮ったあとで彼女は、ビートルズのアルバムの中では《ヘルプ!》が一番好きで、だからこのステージは絶対に観たいと思って足を運んだのだと言った。

「《ヘルプ!》が一番好きなのか。ふーん、ニーナって変わってるね」
「なにが? なにが変わってるのよ、カズ」
「え? いや…そうだねニーナ、そうだそうだ、《ヘルプ!》は素晴らしいアルバムだ。ビートルズの最高傑作だ!」
「そう? わかりゃいいのよ」

見た目はチャーミングだが、性格はちょっとこわい、ということがわかった。今度から気をつけよう。

エリオッツの演奏は10時すぎに終了。アスプレイズが準備に入る。彼らはこのステージのためだけに、旧知のキーボード・プレイヤー、トヨミさんを連れて来た。キーボードもイスも日本からはるばる持参である。トヨミさん、ごくろうさまです…。

ステージの準備をしているうちに、会場はみるみる人で埋まって行き、人と人の隙間がほとんどなくなってしまった。それどころか、入りきれない人がいっぱいいて、外の通路や階段まで埋まっている。まさに超満員状態。こりゃすごいや。

でもよく考えると、向こうのメインステージではこの時間、絶世の美女ルクレシアさんを擁するスター・バンド<Nube 9>が《Abbey Road》を演奏中のはずだ。普通なら向こうを観に行くんじゃないかと思うんだけど…どうなっているんだ?? 
アスプレイズには内緒だけど、僕だったらぜったいにそうするけどなあ…ルクレシア、かわいいもん。

10時25分。スティーヴのMCでアスプレイズのライヴがスタート。
オーディエンスの半分くらいは、去年・今年のステージを観てアスプレイズのファンになり、ここにやって来た人だった。おなじみの顔がたくさん並んでいる。
もう半分は、おそらくは初めてアスプレイズを観る人たちだ。「コンヴェンションの夜」「メイン会場のアデルフィ・ホテル」「ビートルズのアルバムの全曲演奏」という3つのキーワードを頼りに、ここに足を運んだに違いない。つまりは、「ノリのいい演奏で盛り上がりたい」ではなく、「トップ・レヴェルの演奏をしっかり観たい」という目的を持った人たちだ。
だから大ダンス大会にはならないし(もっとも人口密度が高すぎて踊るスペースなんてなかったが)、多くの人たちがじっとステージに集中している。演奏する曲は決まっているのだから、それをどこまで忠実に再現できるか、あるいはどんなオリジナリティを盛り込めるか。それが鑑賞の、あるいは評価のポイントになるわけだ。つまり、レギュラーのギグとは、オーディエンスの態度がまったく違うのだ。

アスプレイズは、そんな厳しい視線をまったく問題にしなかった。
午後のキャヴァーンではストレスフルで不本意なパフォーマンスになってしまったが、その残像は微塵も残っていない。サウンドはパワフル、声も絶好調、そして何より、楽しそうにのびのびと演奏している。1曲目の<ヘルプ!>が始まったと思ったら、あっという間に数百人のオーディエンスとアスプレイズはひとつにまとまった。なごやかであたたかい、親密な空気がそこに生まれていた。ヘンな例えだけれど、大西洋に浮かぶ客船のダンスフロアで一夜限りのパーティーを過ごしているような、そんな感じだ。

そのアトマスフィアを生み出したのは、アスプレイズ自身が発するオーラもあるが、それよりも、会場の半分を埋めたアスプレイズのファンだ。彼らの、アスプレイズへの全面的な信頼感だ。忠誠心、といってもいいだろう。彼らのヴァイブレーションが、ほかのオーディエンスを巻き込んだのだ。そしてそんな素敵なファンを生み出したのは、ほかならぬアスプレイズなのだった。

会場全体がやさしい光に包まれていたように見えたのは、照明の明るさのせいだけではないだろう。実にマジカルで素晴らしい光景だった。

そしてあらためて思った。昨日の<アルマ・デ・キューバ>でもそうだったが、アスプレイズには大きな会場・大勢のオーディエンスがよく似合う。

このままパーティーがいつまでも続けばいいのに、という気持ちは、ここにいる全員に共通するものだったろう。
しかし、終わりの来ないパーティーはない。
11時10分、レニーさんのシャウト炸裂の<ディジー・ミス・リジー>でアルバム《ヘルプ!》全曲演奏が完了した。
まさに、文字どおりの大団円。完璧といっていいくらいに美しいステージだった。
アスプレイズ、サポートのトヨミさん、集まってくれたオーディエンス、そしてリヴァプールの夜に最高のありがとうを!

NLW No.440に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月31日(月)・その1】 NLW No.441に掲載)

【9月1日(月)】

今日は<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>の日だ。英国中から、世界じゅうから、そしてもちろん、地元リヴァプールじゅうから、30万人もの音楽ファンがこの街に大集合する。
シティ・センター中心部は昨日から車の通行が制限された。6つの野外特設ステージと、80ヶ所以上のインドアライヴ会場は、すべて歩行エリアの中におさまっている。もちろんエリア内は自由に行き来することができ、路上で飲んだり食べたりすることもできる。通常は道で歩きながらビールを飲むと犯罪になるが、この日のこのエリアではOKだ。年に一度の、音楽と平和の楽しい祭典なのである。ピース!

9時半にYちゃんたちと近所の<ロイズ・バー>でゆっくり朝ごはん。僕はヴェジタリアン・ブレックファスト。お茶つきで£4だった(と思う)。味は悪くないし、ヴォリュームもちょうどいい。
4人で楽しくおしゃべりをしているうちに、ブルーマーガレッツとの集合時間に間に合わなくなってしまった。さとみさんに電話して現地集合に変更。

10時20分、キャヴァーン・パブに到着。ブルーマーガレッツのみんなはすでに着いていた。
彼女たちは11時からここでギグなのだが、その前に、アメリカのフィルム製作会社<アクト・ナチュラリー・プロダクション>のインタヴューを受けることになっている。製作スタッフは昨年から馴染みのジョンとスティーヴだ。
しかし10分待っても彼らはやって来ない。その間に、たまたま通りかかったビートルズおよびマージービート研究家のイアン・フォーサイスさんをつかまえて、ブルーマーガレッツと記念写真を撮った。

11時10分前ごろにやっと、スティーヴが現れた。
「スティーヴ! 遅いよ〜」と僕。
「おおカズ、なにが?」とスティーヴ。
「なにって、ブルーマーガレッツのインタヴューじゃん。あれ? ジョンは?」
「ん? インタヴューはこのギグの後だろう? ちゃんとスケジュール取ってあるよ。<ハード・デイズ・ナイト・ホテル>で収録するよ」
「いや違うよ! 最初はギグの後って言ってたけど、ギグの前に変更してもらったんだよ。ジョンに伝えたはずだけど」
「いや、何も言ってなかったけどな。後じゃだめなのか?」
「うん、僕がダメなんだ。アスプレイズのギグがあって」
「う〜んそうか、今からってわけにもいかんしな。もう時間がない。オーケー、あきらめるよ」
「悪いね、スティーヴ」
「こちらこそ。気を悪くしないでくれ、ちょっとした行き違いだ。カズ、これからも俺たちはフレンドだよな?」
「もちろんフレンドだ、スティーヴ」

と、スティーヴと友情の握手を交わしているとき、ブルーマーガレッツのサムさんから、「カズさ〜ん、来て来て〜」と声がかかった。
走って行くと、彼女たちのそばにはTVの取材スタッフがいた。
「インタヴュー、インタヴュー。BBCだって!」とサムさん。

なるほど、ブルーマーガレッツのインタヴューの通訳なのだなと合点して、急いで息を整える。
「アー・ユー・レディ?」とBBCの記者。
「はあ、はあ、はい、行きましょう」と僕。
「えーと、まずこのフェスティヴァルについての感想を」
「はいはい、(ブルーマーガレッツに)フェスティヴァルについての感想だって」
「いやいや、君に訊いてるんだよ」
「ん? え? おれ? 彼女たちじゃなくて、おれ??」
「そうそう」
「えーとえーと(途端にしどろもどろ)、そりゃもうファンタスティックですよ。いい音楽にいいバンド、たーくさんのオーディエンス、すんばらしいアトマスフィア。これ以上なにがいるんだって感じで」
「ビートルズは好きですか?」
「んー、まあまあかな。だっておれ、ローリング・ストーンズのファンだから」
「?」
「いや、すみません、面白くないジョークです」
「……」

他にも何か訊かれたけど、よく憶えていない。
なにしろ不意打ちだったので、気のきいた回答がまるで思い浮かばなかった。
ブルーマーガレッツがインタヴューを受けるときには、いつも「つまらんな〜。もっと面白いこと言ったら〜?」と茶々を入れてるのに、その本人がこの体たらく。情けないなあ…。
でも放送されるとは決まっていない。ほかにもたくさん取材するだろうから、こんなつまらないコメントはきっとボツになるはず。なってほしい…。

気がつくと、キャヴァーン・パブの前にはたくさんの人が列を作っていた。こんなに早い時間のギグなのに、みんなブルーマーガレッツに会いたくてやって来たのだ。おなじみの顔がたくさん並んでいる。

ギグの開始時間、11時にドアが開いてみんなで入場。それからスタンバイ。
定刻より15分くらい遅れて、ブルーマーガレッツ最後のギグがスタートした。
セット・リストは以下のとおり。

<A Hard Days Night><Can't Buy Me Love><Ticket To Ride><Please Please Me><Till There Was You><No Reply><Boys><Roll Over Beethoven><She Loves You><I Want To Hold Your Hand><Please Mr Postman><Eight Days A Week><I Saw Her Standing There>

ポップなナンバーがずらりと並ぶ、なんともストレートな選曲である。彼女たちなりの、ファンのみんなへのお礼のメッセージが込められているのかもしれない。
サムさんの声がかすれている。いや、喉がつぶれている。金曜日からの3日間で、あれほどハードなギグを6本も重ねてきたのだから無理もない。しかし彼女は声がかすれていようが喉がつぶれていようが、まったくおかまいなし。いつもどおり全身でパフォームする。横で見ていても気持ちがいい。

サムさんだけではない。4人とも元気いっぱいだ。彼女たちの奏でるサウンドが、彼女たちのアクションが、彼女たちの笑顔が、「この場所にいるのがうれしい、ここで演奏するのが楽しくてたまらない」と叫んでいる。そしてそれは、確かなヴァイブレーションとなって、この小さなパブを共鳴させている。

ブルーマーガレッツ最後のギグが終わった。
満場のオーディエスから、万雷の拍手と歓声。誰もが笑顔だが、「もうこれで会えないんだなあ」という一抹の寂しさを隠せずにいる。
僕だって、このラヴリーでパワフルなバンドのギグをあと2、3本は観たいと思う。そんなにやったら誰も声が出なくなってしまうだろうけど…。

オーケー、さあ次はアスプレイズ。ダービー・スクエアの野外ビッグ・ステージだ!

NLW No.441に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月31日(月)・その2】 NLW No.442に掲載)

<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>は、世界最大のストリート・ミュージック・フェスティヴァルである。
リヴァプールの街の中心部の、およそ300m四方を囲んで、6つの野外ステージを設置、さらにライヴハウスやパブなど80ヶ所のインドア会場でもホットなライヴ演奏が繰り広げられる。

6つのアウトドア・ステージのうち、ヴィクトリア女王像のあるダービー・スクエアに設けられているのが<ビートルズ・ステージ>だ。ビートルズ・バンドが演奏するのはこのステージのみ。ほかのステージはそれぞれ別のテーマを冠したプログラムとなっている。

我らがアスプレイズは、これから、その<ビートルズ・ステージ>で数万人のオーディエンスに向けて演奏する。
この<ビートル・ウィーク>最高のステージで演奏できるのは、たったの7バンド。ラインナップに名を連ねることができたのは、まさに快挙というしかない。しかも彼らは、フェスティヴァル自体も2度目のエントリーなのだ。
聖地・リヴァプールでの超ビッグ・ステージ。ビートルズ・バンドにとっては究極の晴れ舞台だ。
しかしアスプレイズも僕も、リヴァプールのスカイラインを背景に数万人の群衆に向けて演奏するということが、果たしてどういうことなのか、実感はなかなか湧いてこないのだった。

ブルーマーガレッツのキャヴァーン・パブでのギグが終了したのが正午すぎ。
片づけを終えて外に出ると、すでにギグ中に合流していたアスプレイズとマシュー・ストリートを出発した。
目指すはタウン・ホール。
アスプレイズのギグは午後2時スタートなのだが、12時半までに、受付手続きを済ませておかなければならない。そして、受付手続きを済ませたあとは、ギグの開始までバックステージに隔離されることになる。<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>は、リヴァプール市の主催であり、野外ステージで演奏するアーティストには特別な管理体制が敷かれているのだ。

「アーティスト・レジストレーションは、必ずパフォーマンスの1時間半前に済ませてください。そこでイヴェント・リストバンドをお渡しします。もし時間を守れなければ、あなたのパフォーマンスはキャンセルとなる可能性があります」

「レジストレーションのあとは、そのままアーティスト専用のミニバスでバックステージへ移動します。時間までドレッシング・ルームで待機してください」

その他、楽屋ではアルコールもドラッグも禁止とか、さまざまな注意事項が、A4用紙4枚にわたって記されていた。これを読む限りでは、かなりお堅い、厳しいシステムのように見受けられる…が、しかしここはリヴァプールである。我々はレジストレーションに10分くらい遅刻してしまったが、まったく何のお咎めもなく、ニコニコ顔で受け付けてくれた。

リヴァプールのタウン・ホールは、「市庁舎」と訳されることが多いが、納税課とか健康保険課があってたくさんの市の職員が机を並べている…わけではない。
レセプション・ホールや会議室やボールルームを備えた、お客さんを迎えるためのホールで、通常は一般市民が出入りするところではないのだ。

現在の建物が建造されたのは、およそ250年前の1748年。日本で言うと江戸幕府、8代将軍・徳川吉宗の時代である。外観はおそろしく重厚、内装はため息がでてしまうほど豪華でエレガントである。2階への階段をのぼりながら、「おれ、ここにいていいのかな?」という場違い感が頭をよぎった。
アスプレイズはステージ衣装のスーツを着ているからまだサマになっているが、僕はアロハみたいなシャツにチノパンという能天気な格好なのだ。やれやれ。
まあ、半ズボンにビーチサンダルでなかっただけマシか。そう思うことにしよう。

もう少しタウン・ホールについて書いてみよう。
エントランスには、ビートルズの4人の名前を刻んだプレートがある。ここはビートルズが世界的なアイドルとなった1964年、リヴァプールに凱旋した際に、公式のレセプションが開かれた場所なのだ。
ビートルズはリヴァプール空港からこのホールまで車で移動したのだが、およそ15kmの沿道には、まるでマラソンや駅伝を見守るように、ローカル・ヒーローをひと目見ようと、市民が途切れることなく並んだそうである。そして、タウン・ホールの前のキャッスル・ストリートは数万の群衆でびっしりと埋まり、ビートルたちはレセプションを主催した市長らとともに2階のバルコニーに出て、彼らの声援に応えたのだ。
ワーキング・クラスの悪がきどもが、リヴァプール市きっての名士となった瞬間といえるかもしれない。

さて、タウンホールの2階にあるフェスティヴァル主催本部でにこやかにレジストレーションを済ませた我々は、もちろんバルコニーに出てみた。そしてアスプレイズに、45年前にビートルズが観たであろう光景を想像しながら、手を振ってもらった。
フェスティヴァルの最中なので人通りは多く、こちらに気がついた人が、あちこちから手を振り返してくれる。
バルコニーの真正面、遥か向こうには、ダービー・スクエアのビートルズ・ステージが見える。今はブラジルのバンドが演奏中のはずだが、小さすぎてモニター・スクリーンでさえ確認することができない。あと1時間あまりで、アスプレイズはあそこに立つことになる。

アーティスト用の受付カウンターの横にはグッズ売り場があって、フェスティヴァルの記念オフィシャル・グッズがすべてそろっていた。あんちゃんが、記念Tシャツにアスプレイズの名前がプリントされているのを発見。もちろん全員が購入した。

奥のレセプション・ルームではコーヒーやお茶や軽食のサーヴィスがあった。
「どうぞゆっくりして行って」とスタッフの人にすすめられたが、アスプレイズは断った。こんなところでゆっくりしている場合ではないのだ。早く会場に入って、楽屋で静かに、これからのステージに集中したいのだ。

専用のミニバスに乗り込み、マージー河沿いのストランドを通って、ダービー・スクエアの裏手に到着。一般の人は入れないエリアだ。そこからスロープをのぼって行くと、そのままステージの真裏に出た。大きな音でビートルズが鳴り響いている。空が広い。午前中はくっきりした晴天だったが、徐々に雲がかかって来ている。それでもまだじゅうぶんに明るい。そしてダービー・スクエアは、ここからでは一部しか確認できないが、鈴なりの群衆で埋まっているようだった。

楽屋の前で、公式カメラマンがアスプレイズを撮影。そして中に入って準備に取り掛かったと思ったら、<アクト・ナチュラリー・プロダクション>のジョンとスティーヴが顔を見せた。もちろんジョンは撮影カメラを回している。

「やあカズ、待ってたよ」
「なんだ、スティーヴ。ここにいたのか。アスプレイズ撮ってくれるの?」
「ああもちろん。これからインタヴューしてもいいか?」
「いいよ、テキトーな通訳でよければ」
「構わんよ。フィルムにするときはアメリカでちゃんとした通訳に頼んで字幕つくるから」
「そうだったね。でもスティーヴ、今ステージで<リヴォルヴァー>が演奏中だよ。あっちはいいのか?」
「いい、いい。だって俺たちはアスプレイズを撮りに来たんだから」
「そうか、ありがとう。でもほんと好きだねえ。アメリカに連れて帰ったら?」
「ははは」

というわけでアスプレイズのインタヴューを収録。ジョンとスティーヴは<ビートル・ウィーク>のオフィシャル・ドキュメンタリー・フィルムを製作中だ。去年も来ていたので、2年分のストックの中から編集するのだろう。そしておそらく、アスプレイズはそのフィルムの中で、かなりフィーチャーされるはずだ。

インタヴューのあと、アスプレイズには楽屋でゆっくりしてもらうことにした。
といっても、プレハブの楽屋には質素なイスと机があるだけだ。とても落ち着いていられる環境ではない…。
ステージからのサウンドや群衆の喧騒が響いてくる。本番まで20分と少し。さすがにみんなナーヴァスになっている。こんなビッグ・ステージで緊張しないほうがおかしいわけだけど。

昼ごはんとして僕が調達していた<サブウェイ>のサンドウィッチは、ユウキだけは普通に平らげたけれど、久保さんとレニーさんは半ば強引にお腹に入れていた。
あんちゃんは袋から出すこともしなかった。緊張のせいかもしれないし、集中の妨げになると考えたからかもしれない。あるいはその両方か…。

MCのニールがやって来た。キャヴァーンの名物DJの彼は、今日1日、この<ビートルズ・ステージ>の司会担当なのだ。

「イエーイ、カズ、元気か?」
「うん。君ほどじゃないけどね」
「はは。アスプレイズはオーケーか? ステージは時間通りだ。1時45分に終わる」
「うん、オーケーだよ。問題ない。ところでニール、君んちのニシキゴイは元気?」

何年か前に、ニールは家の庭に池を作って錦鯉を育てていると言っていたのだ。

「ニシキゴイか。いや、もういないんだよ」
「ありゃ、もういないの?」
「ああ。池もつぶしちゃったんだ。庭にどーんと芝生を引いて、パーティーができるようにしたんだよ。しょちゅうやってる」
「パーティー? 好きだねえ。ほんでニールはそこでもDJをやるのか?」
「ん、まあね」
「仕事でDJやって家でもDJやるのか?」
「うん、まあね」
「ほかにすることないのか?」
「るせえ、大きなお世話だよ!」

などとくだらない話をしている間に<リヴォルヴァー>の終演が近づき、ニールはあわててステージに戻って行った。

1時45分。予定通りに<リヴォルヴァー>のステージが終了。大舞台を無事に終えた彼らへのねぎらいもそこそこに、アスプレイズが<ビートルズ・ステージ>に上がった。もちろん僕も一緒だ。
ステージの背景には、3つの巨大なバナー広告が貼りつけられていた。真ん中に主催者であるシティ・オブ・リヴァプールのバナー、そしてその両脇に、発売間近のゲームソフト<ビートルズ・ロックバンド>のバナーだ。今年はEMIとアップルが、<ビートル・ウィーク>および<マシュー・ストリート・フェスティヴァル>のスポンサーに名を連ねているのだ。これは特別なことと言っていいだろう。

しかし、ステージの背景に感心している場合ではない。反対に向き直ってみて、僕はちょっとビビってしまった。ステージの上からの眺めは、まったく信じられないほどの絶景だったのだ。
広いダービー・スクエアは隅の隅まで人、人、人で埋まっている。昼間の野外コンサートなので、人々の顔や表情がくっきりと目に飛び込んでくる。誰もが、これから始まるアスプレイズのステージを、今や遅しと待ってくれている。正面のずっと向こうに、先ほどバルコニーで手を振ったタウン・ホールが見える。こことタウン・ホールを結ぶキャッスル・ストリートにも人間の海が広がっている。
いったい何万人の人間がこっちを向いているんだろう…。

ステージのいちばん前に出て、写真を撮ってみた。僕がカメラを構えているのに気がついた人々が、こちらに向かって手を振ってくれる。そしてそれは徐々に、波のように広がって行く。みんなの笑顔が素敵だ。

アスプレイズがサウンドチェックをしている間にニールと打ち合わせ。
何の打ち合わせかというと、ニールはこの大観衆に日本語でコールさせたいらしい。
「カズ、なんかシンプルな文句ないか?」
「う〜ん、ありがとうじゃ言いにくいよね。がんばれーはもっと難しいし…」
「サンキューとかハローみたいなのでなんかないのか?」

一瞬「まいど」とか「おおきに」にしようかと思ったが、もう少し無難なものにすることにした。

「ならニール、どーも、で行こう。サンキューの意味もあるしハローの意味もある。憶えやすい」
「いいね。よっしゃ。ドーモ、ドーモ、ドーモ、だな」
「そうそう」

アスプレイズのサウンドチェックが終わった。予定の2時にはまだ時間があるが、ニールに合図する。
フェスティヴァルのナンバーワンDJが、数万のオーディエンスにアスプレイズを紹介する。まずは「ドーモ、ドーモ、ドーモ」の掛け声を群衆に強要。数万人による「ドーモ」コールが湧きおこった。調子に乗ったニールは、今度は恒例の「リヴァプールへ、ヨウコソ」をみんなに言わせる。それにつなげて、まずスポンサーへ、そしてPAなどの裏方スタッフやステージ・マネージャー(…って僕のことだ!)、公式フォトグラファーへの「ビッグ・ノイズ」をオーディエンスに要求。全体がわーっと盛り上がったところで、こう叫んだ。

Please! Give'em a big Liverpool welcome, all the way from Tokyo Japan...
The Aspreys!!

アスプレイズが1曲目に選んだのは<All My Loving>だった。2曲目は<From Me To You>、さらに<Dizzy Miss Lizzy><Hippy Hippy Shake><Sweet Little Sixteen><Can't Buy Me Love>と続く。

このコンサートについて、なんと書いたらいいのだろう…。
月並みな表現になるが、夢のような45分だった。それはきっと、アスプレイズの4人にとっても同じだろう。
ステージに上がる前は緊張していた彼らだったが、いざスタートしてしまえば、普段どおり、いや、普段よりも堂々と演奏していた。オーディエンスの様子をじっくりうかがう余裕もあったし、何よりもこのアトマスフィアを存分に味わおう、楽しもう、という気持ちが表れていた。「一生に一度あるかないかの経験なんだから、まず自分たちが楽しもう」と思ったのかもしれない。
この究極の場面でそう思えること自体がすごいことだし、そう思ってもやっぱりアガってしまうのが普通のバンドだ。アスプレイズはなんでこんなにのびのびリラックスできるんだろう…。

単純に、気持ちよかったのかもしれない。
思い切りパフォーマンスすることが。
アンプリファイアで増幅されて大音響となった自分たちのサウンドが、リヴァプールの空にすい込まれて行くのが。
自分たちのリズムが、数万のオーディエンスのハートをビートするのが。
自分たちのシャウトが、リヴァプールの街をシェイクするのが。

とびきりの笑顔でドラムを叩くあんちゃんの横で僕は、アスプレイズとオーディエンスとリヴァプールの空を順番に眺めながら、「気持ちいいなあ、よかったなあ」と、なんだかなごんでしまった。左手に見えるヴィクトリア女王もきっと喜んでいることだろう。

ステージは快調に進む。
<Chains><I Feel Fine><You Can't Do That><Eight Days A Week><I Wanna Be Your Man><She's A Woman><Slow Down><I Saw Her Standing There>、そしてラストに<Long Tall Sally>。

しかし快調に進みすぎたようだ。ユウキが<Long Tall Sally>を歌い始める前、ニールに、「これで最後だけどアンコールの時間どう?」と訊いてみたところ、「カズ、ちょっと進行早いし次のバンドもまだ来てない。20分くらいやっていいぞ」との答え。つまりアンコールとしては5曲できるわけだ。彼らが事前に用意しているのは、<Please Please Me>1曲のみだが、あと2〜3曲は増やしていいかもしれない。

<Long Tall Sally>終了。
アスプレイズのお別れの挨拶は、聴衆からは当然ながら受け入れられず、アンコールを求める盛大なコールが湧きおこった。
あんちゃんが僕を見る。すかさず指を4本出す。「4曲!」
あんちゃんは即座に「無理!」と叫んだ。「もう限界。1曲だけしか無理!」
「じゃあ3曲!」
僕もいじわるだなあ…いや、いじわるなんじゃなくて、せっかくのステージなんだから1曲でも多くやってほしいのだ。
「ダメ!」とやっぱりあんちゃん。
「じゃあ2曲!」
「……」
ということで、2曲になった。
あんちゃんが前の3人にそれを伝え、何を演奏するかを相談。久保さんがマイクで「ちょっと待ってね。ミーティング、ミーティング!」と言ったら大ウケにウケていた。

アンコールは、1曲目に<Roll Over Beethoven>、2曲目に<Please Please Me>となった。これでほんとうに終了。夢のステージが終わった。

ニールがステージの上でアスプレイズをねぎらい、観衆は惜しみない拍手と歓声を彼らに送った。僕は彼らの後ろから、この感動的なシーンをカメラに収めていた。
そして、アスプレイズが聴衆に手を振って後ろを向いた途端、ニールは僕を手招きする。

「カズ、こっちこっち!」
「え? おれ? だめだめ! だめだって!」
あわてて手を振る。まるでさっきのあんちゃん状態である。因果応報とはこのことか…。
もちろんニールが許してくれるはずはなく、強引にステージの前に引っ張り出されてしまった。聴衆もなんだかもりあがっている。
ニールはいつものように、「こいつがカズで、毎年、毎年、素晴らしいバンドを遠い日本から連れて来る。拍手してやってくれ。それかもうひとつ。カズのカンパニーの名前はサイコーなんだ。スカウス・ハウスっていうんだぜ!」などと自慢げに僕を紹介する。
僕はだらしなく照れ笑いをして、ちょっと手を振るのがやっと。でも、リヴァプールの人々の拍手や歓声のあたたかさは、しっかりと心に刻んだ。

ステージを降りるとすぐに、ニールが僕のところにやってきた。
「ニィ〜ルゥ〜〜!」と恨めしそうに呼ぶと、彼は珍しく真顔で僕にこう言った。
「カズ、お前には悪いけど、あれでいいんだ。リヴァプールの人間はお前に感謝しないといけない。お前のことを誇りに思わないといけないんだよ。俺はぜったいそう思う」
「…そうか、うん、ありがとう、ニール」
ニールの気持ちがうれしかった。でも…。

楽屋に入ると、興奮冷めやらぬアスプレイズがいた。
みんな、でっかい仕事をやり遂げた充実感でいっぱいの輝いた顔をしていた。
ひとりひとりとがっちり握手。

あんちゃんの言葉が印象に残っている。
「カズさん、長いことやって、いろんな経験をしてきたつもりだけど、今日のこのステージは、間違いなく、生涯最高の体験だった」

レニーさんは少しひねって、こう表現した。
「冥土のみやげができましたよ」

ニールにもあんなこと言われたし、アスプレイズの4人にも口々に感謝された。
ありがとう、ありがとう、ありがとう…。
でも、僕が実際にやったことって、彼らに比べればぜんぜんたいしたことじゃないのだ。ブッキングをして、ただステージの横で観ていただけなんだから。
ニールもアスプレイズも、最高のエンターテイナーだ。彼らのおかげで僕もハッピーになれるし、今日のような、夢みたいな体験もできる。だから感謝しないといけないのは、僕のほうなのだ。

どうもありがとう、チアーズ、メイツ!

NLW No.442に掲載)



【利物浦日記2009 / 8月31日(月)・その3】 NLW No.443に掲載)

ダービー・スクエア・ステージでの演奏を終えたアスプレイズと僕は、アーティスト専用ミニバスに乗って元の場所、タウン・ホールの近くのカー・パークに戻って来た。
すでに3時半を回っている。
アスプレイズには、もう1つだけ、6時にキャヴァーン・パブでのギグが残っている。あまり時間はない。
ちょうどいいタイミングで通りかかったタクシーをつかまえて4人を乗せた。これから宿に帰って少し休んで、衣装を着替えて5時半に現地集合だ。

僕はひとりになった。さて、何をしよう…。
目の前には古いパブ<ピッグ&ホイッスル>。僕のお気に入りの店だ。ちょっとひと休みすることにして、ハーフ・パイントのビターを注文した。
リアルエールはなかったので全国ブランドの<テトリーズ>。クリーミーで美味しかった。

店を出たのは4時。アスプレイズとの集合時間にはまだ1時間半あるので、しばらくフェスティヴァルの野外ステージの様子を見て回ることにした。

ウォーター・ストリート・ステージ、エクスチェンジ・ストリート・ステージ、スーパーラムバナナ・ステージ、トンネル・ステージ、そしてウィリアムソン・スクエア・ステージ。どこもが大勢の人々でにぎわい、盛り上がっている。パブやレストラン、ファストフードの店も人でいっぱいだ。
家族連れが圧倒的に多い。夏休み最後の日に、ファミリーでリラックスして楽しむのにはうってつけのお祭りなのだ。

考えてみると僕は毎年なぜか、この日のこの時間帯は、こうやってひとりで街を歩いている。仕事で来ているんだし、ひとりで気ままに歩き回るのも悪くないん
だけど、家族や友達や恋人と連れ立って楽しそうにしている人々の姿を見ると、やっぱりちょっとうらやましいなあと思ってしまう。

空模様がかなりあやしくなってきた。重たい雲が広がり、今にも雨が降りだしそうな暗さだ。

5時半。マシュー・ストリートのキャヴァーン・パブへ。
店の外には大勢の人が並んでいた。見たことのある顔が多い。やはりみんなアスプレイズを観るために並んでいるのだ。店内はすでに満員。入場制限中だから、今のうちに並んでおくのは正解かもしれない。

アスプレイズのメンバーは少し遅れて到着。早めに宿を出たものの、道中で次々にファンにつかまり、サインだの写真だのをせがまれてしまったのだそうだ。もうすっかり有名人。実を言うとこの僕でさえ、何人かの人に声を掛けられた。
さっきニールに、ステージの上で紹介されてしまったせいだ。サインや写真は誰もほしがってくれなかったけど…。

それにしても、である。
数万人を沸かした超ビッグ・ステージの直後に、ぎゅうぎゅうに詰めても100人がやっとの、このタイニーなパブでのギグが組まれるなんて。
さっきは、ずっと向こうまで見渡す限り群衆で埋まっていた。今は、わずか10m先に壁がある。このギャップはどうだろう。なんだか面白い。
これこそが<ビートル・ウィーク>なんだという気がする。どんなにメジャーなバンドになっても、小さなヴェニューに普通に登場する。

さすがだなあと思ったのは、アスプレイズの全員が、いつもどおりの集中力でもってこのステージに臨んでいたことだ。一生に一度クラスのビッグ・イヴェントを大成功に終わらせた後である。少しくらい緩んでしまっても無理はないと思っていたのだが、まったく普段通りに気合いが入っていた。これがこのバンドのいいところだ。常に最大限のパフォーマンスをする。絶対に手を抜かないのだ。

超満員のキャヴァーン・パブで行われたアスプレイズのラスト・ギグは、まるでホーム・パーティーのようなフレンドリーな空気に支配された。
しかし、レニーさんの、つまりジョン・レノンのロックン・ロール・ナンバーがずらりと並べられたために、場内の熱気はどんどん、どんどんヒートアップ。蒸し熱いなあと思っているうちに、外では大雨が降りだしたらしく、さらにじっとりとした湿気が流れ込んできた。それが、飛び散る汗や吐息や唾を吸収してべっとりと肌に張り付いてくるような、そんな気持ち悪さ。うわあいやだなあと僕は思ったけど、ほかの誰もそんなことは気にしていない。すさまじいほどのダンス&大合唱大会になっていた。

しかし面白かったのは、渦中にいてオーディエンスを煽りに煽っている張本人のレニーさんは、まったく舞い上がったところがなくて、まるで人ごとのように冷静なのだった。
ステージも終盤に差し掛かったころ、演奏中に何度か、ステージ横の僕のほうを見る。ときどき首をかしげる。レニーさんの言いたいことは、僕にはわかっていた。伝えなければいけないことがあった。しかしあまりに演奏の音が大きく、しかも僕の喉はべたべたした空気でやられてしまって、うまく発声ができなくなっていたのだ。

どうしようかなあと思っていると、曲の合間にレニーさんがすっと僕に近づいて来て、訊いた。
「カズさん、ぜんぶやってだいじょうぶ?」
「いや、1曲カット!」
「やっぱり!」
レニーさんがほかの3人に伝えて、用意したセットリストから1曲を削って、無事にステージは進んだ。
それにしてもレニーさん、時計もないのによくわかったなあ。

レニーさん必殺の<Sweet Little Sixteen>でギグが終わった。アスプレイズ2度目の<ビートル・ウィーク>のフィナーレでもあった。
荷物をまとめて外に出ると、マシュー・ストリートは大雨だった。みんなずぶぬれ。これじゃあ余韻を味わっているどころではない。
アスプレイズはやはりファンたちに囲まれていたが、僕はYちゃんと一緒に先に宿に帰った。このあとはみんなで打ち上げをすることになっている。早めに行っておかなければ。

8時。<フィルハーモニック・パブ>で打ち上げパーティー。
イギリスらしい料理をずら〜っとテーブルに並べて、ビュッフェ形式で食べてもらった。ビールもデザートも美味しかったし、内容はヒミツだけどハプニング的なセレモニーなんかもあって、思い出に残るリヴァプール最後の夜になった。

アスプレイズもブルーマーガレッツも、ほんとうにがんばったと思う。素晴らしいパフォーマンスをして、予想を遥かに上回る評価とファンを獲得した。途中、不本意なギグもあったけれど、それを含めて、すべてがうまく行った。大成功だった。
この2つのバンドを、心から誇りに思う。

パーティーのあとはアデルフィ・ホテルへ。
Yちゃんと一緒に、ボールルームで<オーヴァーチュアーズ>を観た。おそろしいほどの迫力。やっぱりすごいバンドだ。
途中、ビールを買いにバーカウンターに行った時、見知らぬ人から声を掛けられた。
「おお、君きみ、見たよみたよー!」
「え? なに?」
「なにって、テレビ。今日のBBCに出てたじゃないか」
「ん? BBC? おれが?」
「うれしそうにインタヴューに答えてたじゃないか」
「インタ…えー!? あれ? あれが放送されたの?」
「なんだ、知らなかったのか。はっは〜」

すっかり忘れていたが、朝にマシュー・ストリートでBBCの取材を受けていたんだった。あの、しどろもどろでみっともない姿が放送されたのか…。

その場にいた別の人も加わってきた。
「おれも見た見た! なかなかよかったよ。すっかり有名人だな」
「いやだー、やめてくれぇ〜」

ついでに書くと、次の日は知り合いのレコード・ディーラーからも、「カズ、見たぞ〜」と、わざわざ電話がかかって来た。
あんなボロボロのインタヴューが放送されるなんて…。
不幸中の幸いだったのは、ミナコさんが見ていなかったことだ。
「ええ〜っ、そんなことが! それは見たかった〜。ネットに映像がアップされてるかもしれないから探してみますね」
「いや、だめだめ! 探しちゃいかぁ〜ん!!」

まったく、BBCとはおそろしいところである。

● ● ●

翌日の火曜日は、朝に帰国するアスプレイズ&ブルーマーガレッツのグループを見送って、午後はキャヴァーンで<The Searchers>を観た。
サーチャーズはずいぶん前に2つのグループに分かれ、それぞれが精力的に活動している。創始者のジョン・マクナリー率いるオリジナルのサーチャーズと、リード・シンガーのマイク・ペンダー率いる<Mike Pender's Searchers>だ。2年前にマイク・ペンダーのほうを<エンパイア>で観てぶっ飛んでしまったのだが、今回のサーチャーズはもっと素晴らしかった。
フロントマンのフランク・アレンがむちゃくちゃカッコいい。ショウマンシップに溢れていて、でもクールで粋で、でもアツくて。

曲も、<Sweets for My Sweet><Sugar and Spice><Don't Throw Your Love Away><When You Walk in the Room><Love Potion No. 9>などなど、大ヒット・ナンバーが目白押し。終盤は大ロックン・ロール大会になって、<7 Nights To Rock><Twist And Shout><Rockin' All Over The World>では僕も大合唱に参加した。
今回の<ビートル・ウィーク>でいちばん楽しい瞬間だった。もちろんそれは、アスプレイズとブルーマーガレッツのギグや<スカウスハウス・ツアー>が無事に終わったという開放感があったからこそ、なのだが。

ぐいぐいぐいぐい引き込まれる、ものすごいライヴだった。さすがである。伊達に40年以上もやっていない。これこそがプロなんだ、という気がした。夜の部も観ようかと真剣に悩んでしまったほどだ。やめといたけど。

というわけで、2009年の「利物浦日記」はこれで終わり。
自分でもあきれるほど長いレポートになってしまった。
ぜんぶ読んでくれた人っているのだろうか。もしいたら、肩のひとつも揉んであげたい気持ちだ。僕も誰かに揉んでほしいけれど。

では、「利物浦日記2010」でまた会いましょう。
お楽しみに!

(おわり)

NLW No.443に掲載)



【アウトロダクション】

この「利物浦日記2009」は、メールマガジン「リヴァプール・ニュース News of the Liverpool World」に掲載したものです。
第1回の掲載は2010年4月6日発行の<NLW No.413>で、最終回(第17回)は同年12月28日発行の<NLW No.443>でした。
いつもながらの長い長い原稿になったわけですが、これでも、フェスティヴァルの限られた部分しかレポートできていません。イントロにも書きましたが、僕はブッキングした日本の2バンドにつきっきりで、メインイヴェントの多くを見逃してしまったからです。それでも、《ビートル・ウィーク》のでっかさや愉しさ、素晴らしさは、ある程度は伝えられたのではないかと思います。

日本代表として2009年にプレイしてくれた<アスプレイズ>は今はなく、もうひとつの<ブルーマーガレッツ>も、これを書いている今日・2013年5月5日のステージをもって解散することになっています。
まさか4年後には2バンドとも存在しなくなるなんて、あの夏の僕にはまったく予想もできなかったことですし、それは両グループのメンバーたち自身にとっても同じかもしれません。
僕が決めつけるわけにはいかないけれど、どちらのバンドにとっても、2009年8月のリヴァプールでのパフォーマンスはバンドとしてピークの姿だったように思います。その時間をチームとして共有できたのは幸せなことでした。

アスプレイズもブルーマーガレッツも、最高に素晴らしいバンドでした。ほんとうにありがとう!

(2013年5月5日 山本 和雄)



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