
Live Venues - Suburb
1930年代からあるダンスホールです。ビートルズは1961年3月1日から1962年1月27日までの間に15回出演。

ピート・ベストの家の地下を改装して作られたクラブで、ピートのお母さんモナ・ベストが経営していました。クォリー・メンは、1959年8月のオープンの日に演奏し、以後、1962年までに200回以上出演しています。

隣り合って立っているボールルーム。グラフトンのみ今現在も営業しています。古き良き時代の豪華なダンス・ボールルームで、クォリーメン時代から何度も出演していました。


ビートルズは1961年1月20日から1962年1月13日まで11回出演しています。

ペニー・レーン近くの大きなボールルームです。

ビートルズは1961年9月15日から1962年3月17日まで6回出演しています。

カスバ・クラブのすぐ近く。現在はなんとジャパニーズ・柔術の道場になっています。

1957年10月18日、ポールがクォリー・メンのメンバーとして初登場したのがこのホールでした。

ビートルズは1962年4月2日に出演しています。


クォリー・メン時代に数回演奏しています。ウールトン周辺に関しては「Place where John and Paul first met」のページも参照して下さい。

1957年から1958年にかけてクォリーメンが頻繁に出演したホールで、ジョージがメンバーとしてデビューしたのもこのホールでした。

ガーストンにあるボールルームです。
Live Venues - Seaforth / Litherland
シルバー・ビートルズ時代から8回出演。このホール周辺でスチュが頭を殴られる事件があり、それが彼の死の原因になったと云われています。

1960年12月27日、最初のハンブルグ巡業から帰国後初ステージを行ったホール。その凄まじいステージに多くの人々が熱狂したと伝えられており、「ビートルマニア発祥の地」と云われています。
Live Venues - Wirral
アランがよくブッキングしたボールルーム。喧嘩が多く、よく演奏が中断させられたそうです。

1962年2月1日、ブライアン・エプスタインのマネージメントによる初のギグがここで行われました。

1962年6月から1963年4月まで17回出演。「マージービート・ポール・アワード」もここで開催されました。

大規模なショウが頻繁に開催され、デビュー前はビートルズも多数出演していましたが、1969年に焼失し現在では更地になっています。